今日も母の料理を食べに実家へ。いつかまたお腹一杯食べられる日まで

私には家が二つあります。一つは彼と住んでいる家、もう一つはとても近くにある実家。この二つの家を毎日行き来しています。
結婚したら「彼のためにご飯を作って仕事もやって、新婚生活を充実させるんだ」そんな気持ちで当初はいました。
けれども、引っ越しをしたタイミングで私は「うつ病」と診断されてしまいました。心の風邪のようなものにかかってから、当たり前のことが当たり前に出来なくなってしまったのです。
料理の作り方が分からなくなる時があって、自分の作ったものの味も分かりません。そんな不甲斐ない自分を追い詰めるようにして「なんでこんなことも出来ないんだ!」と誰にもぶつけられない怒りを、一人で抱え込んでいました。
料理を作る時間が苦痛で、味のしない何かを食べている時が辛かった。いつしか買い物にも出かけず、毎日起きたままの格好で過ごし、一日が終わる。身なりも整えず、お洒落にも興味が湧かない、まるで廃人のような生活を送っていました。
そんな時、「今日、うちにご飯食べにおいで。いっちゃんの大好きなカツ丼を作ったよ」とLINEに母からのメッセージが書いてありました。面倒だなと思いながらも、その日私は、実家でご飯を食べました。
母は「無理に作らなくていいから、ご飯ならいつでも母ちゃんが作ってあげるから毎日食べにおいで。一緒に食べたら美味しいしさ」と言いました。うつ病と診断される前から体調不良に悩まされ、気がつけば約三年もの月日が経っていました。
そしてご飯の味が分からなくなったのも、丁度三年前くらいだったと思います。
そんなことを考えながら、母が作ってくれたカツ丼を無心で食べていました。
甘辛くて懐かしい、母の味が微かに感じるような気がして。泣きそうなのを堪えながら、涙で視界がぼやけていくのを必死に耐えながら、私はカツ丼を食べました。
痩せていく姿を見ていたからこそ、せめてご飯だけでも安心して食べてほしいと思う優しさが身に染みて分かるから、余計に涙があふれてしまいそうだったのです。
最後に「ご飯は母ちゃんが作ってあげるから、毎日食べにおいで」と念を押して言われ、私は彼と住む家に帰りました。
その日から私は、実家に帰りご飯を食べて、彼が帰宅する時間に駅に迎えに行き、二人の家へと帰る生活を送るようになりました。そして母は必ず彼の分のおかずもタッパーに入れて持たせてくれるのです。
一緒に住んでいた時は、当たり前だと思っていました。
温かいご飯が食べられることも、ご飯を作ってもらうことも。
けれど離れて暮らすようになって、病気になって、ご飯が食べられるありがたさが身に染みて分かるようになったのです。
普段はあまり言いませんが、たまに「母ちゃんのご飯、すごく美味しいよ。ありがとう」と伝えると、「いつでもおいで。一緒に食べよう」そう嬉しそうに答えてくれます。
アラサーになってようやく感謝をするようになっただなんて、遅いかもしれない。けれど、病気になったからこそ本当の意味で助けられていることに気づくことが出来ました。そして母の愛情を心の中で感じながら、ゆっくり病気と向き合っていこうと思います。
いつか、昔のように母のご飯をお腹一杯食べられる日が来ることを信じて。
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