サンタが来なくなってから知った。サプライズは、ときめきを贈る魔法

「すごい、サンタさんから手紙が届いた!」
最後にサンタさんからプレゼントを受け取った、9歳のクリスマス。朝起きると机の上に青い封筒が見え、1通の手紙が閉じ込められていた。
私の家にはホンモノのサンタさんはやって来なかった。母が代わりを務めていて、目が覚めると毎年、リビングの机上に赤や緑の袋をまとったプレゼントが置いてあった。
……というのを、10歳の冬に知った。
最後にサンタさんからプレゼントが届いた数ヶ月後、母は病気で空へと旅立った。
もう戻って来ない。翌年からプレゼントが来なくなり、そのときに知った。
かつて母は、「サンタさんは北欧のラップランドから来るんだよ」と話してくれたことがあった。初めて手紙が届いたとき、「遠い国から来て、手紙までくれるなんて」と感動しきっていた。
断捨離してしまった手紙もある中、過去もらった手紙でいちばん古く、15年以上、とってあるのがそれだった。
小さいときの私はレターセットを集めることが好きで、出かけるたびに欲しがっていた気がする。それを知ってか、プレゼントに手紙を付けてくれたのかもしれない。
はじめてサンタさんがやってきたのは幼稚園生のとき。年に数回会う親戚のお姉さんがいて、髪やネイルを綺麗に整えていた。クリスマス前、上着にさりげなく付けていたツリーのブローチが輝いて、目に焼き付いていた。
幼稚園のお遊戯会でサンタさんの存在を知り、「サンタさんにツリーのブローチを頼むんだ!」と、どこへ行っても話していた。
そして、ついに私の元へやってきた。小さな箱の中にはツリーのブローチが入っていて、目が丸くなった。
サンタさんが来なくなったあと、サプライズというのは相手の心にときめきを咲かせてくれる魔法だと知った。
しかし、サプライズというのは難しい。そこまでサプライズされるのは好きではない……!という人の話も聞く。私も気恥ずかしい方なので、盛大に何かしてもらうと恥ずかしさが勝ってしまい、反応できないことがあった。
さりげないときめきを贈れたら――。
サプライズを考えるときは、そんな風なイメージを持っている。
先日、学生時代に仲の良かった友人が結婚し、久しぶりに2人で会うことになった。今は離れたところに住んでいて、会うのは数年ぶり。何かお祝いできればと、待ち合わせのレストランでウェディングプレートを予約してみることにした。
その友人とはいつも、「どこ行く?」などいろいろ話し合って決めるのに、「ここ気になってるのだけど、行ってみない?」「私予約するね」など、ずんずん先手を取ってみた。もうこの時点で、何かを勘付かれている気がしたのだけれど......。
はじめて誰かのウェディングを祝うタイミング。どんな風にプレートが登場するのだろう。私が受け取る側のような、ソワソワ、ワクワクした気持ちになった。
食事が到着したのち、想像以上に素敵なプレートが届いた。スタッフさんが、「おめでとうございます」などと声をかけてくれ、思っていたよりも大きめにお祝いしてくれた。「お店からのプレゼントです」と、私までサービスのケーキをもらってしまった。
友人は喜んでくれていたようで、ひと安心。誰かの力を借りると、大きなときめきが生まれるのだなあと、そのことが私にとってサプライズだった。
今年ももちろん、私のもとにサンタさんは来ない。いつからか、自分のために自分でクリスマスプレゼントを買っている。
いつか母みたいに、「サンタさんの代わり」になる日が来るかもしれない。うれしかったことをしてみたいし、たぶんすると思う。
してもらった大切なことを返していく年齢になった。歳を重ねたと感じる瞬間が日常でいくつもある。うれしいやら、寂しいやらだ。
街を歩くと、クリスマスの灯火が周りを明るく照らしている。ソワソワ、ワクワク。「楽しみたい」というときめきへのアンテナは、いつまでも変わらないで持っていられたらうれしい。
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