価値ある涙を流す、その日まで。結婚式前の一週間、実家に帰った

十一月二十日、私たちは結婚式を挙げました。
結婚なんて無縁だと思っていたので、正直、今でも実感は湧きません。苗字が変わって、彼と暮らし始めてからも、私の中ではまだ夢の中にいるような感覚のまま過ごしていました。
式を挙げる前の一週間、私は毎日のように実家に帰っていました。元々、病気をしてから実家でご飯を食べて、旦那さんが帰ってくる時間に駅へ迎えにいき、二人で住んでいる家に帰る。そんな生活をしていました。
時には、自分でご飯を作ることもありましたが、お母さんは「家に食べにおいでよ。一人だと寂しいでしょ」と色々な理由をつけて実家に来やすいようにしてくれていました。けれども、結婚式を挙げる前の一週間だけは、自発的に帰るようにしていました。
新しい家族という形を旦那さんと作り始めていたけれど、二十八年間住み慣れた家から、そして家族から少しだけ遠ざかっていくことが怖かったのかもしれません。昔みたいに「嫁にいったら、旦那の家族になるんだ」なんてことはないけれど、心が落ち着かない、そんな気持ちになっていたのかもしれません。
そして、もう一つの理由は、単純に結婚式で泣きたくなかったからです。
歳を重ねるごとに涙腺は弱くなり、些細なことで泣いてしまう私には、一週間という期間はとても大切で、貴重だったのです。
そうはいっても、会場の雰囲気や友人たちの顔、見慣れた親戚に、そして家族が集まれば、自然と涙腺が崩壊してしまうだろうし、もしかしたら、人生で一番というくらい泣いてしまうかもしれません。だからこそ、心の準備が欲しかった。
実家に帰るたびに私の母は「結婚式のベールダウン、やりたくない。絶対母ちゃん泣いちゃうから。やりたくない」と駄々をこねていました。
昔から涙もろい母は、私の保育園の卒園式、小学校の卒園式と、ことあるごとに号泣をし、時にはテレビに映る犬が懸命に走る姿だけでも、ティッシュを何枚も取りながら、泣いてしまうほど涙もろいのです。そんな母に似てしまった私もやっぱり泣いてしまうのだろうと、この言葉を聞かされるたびに思っていました。
その横で父は「嫁に行った娘が毎日家に帰ってきてたら、涙なんか出んわ」と強気なことを言っていますが、泣かないように今から、自分に言い聞かせているようにも聞こえていました。よく父は「このまま結婚できなくて一人ぼっちだったら可哀想だから、いつか嫁には行ってほしい。父ちゃんが生きている間はいいけど……」とたまにボソッと言っていました。実際に結婚となると、安心と寂しさで複雑な思いがあるのかもしれません。
二人の涙を見てしまったら、間違いなく私は号泣するから、一週間、毎日帰り続けました。
最後の最後に嫁に行った娘ではなく、二人の娘として子どもの時のように過ごしたかったから。この二十八年間を振り返り、楽しいことも悲しいこともあった。時には、ぶつかったり怒られたりもした。そして、ピンチになった時には必ず助けてくれた。
それが両親です。
子どもの頃には全くわからなかったんです。家族の大切さが、両親が注いでくれた愛情の深さも。
けれども私が大きくなり、色々なことを感じられるようになったからこそ、そして、新たに家族を作り始めようとしたからこそ、家族の絆みたいなものを知り始めているのかもしれません。私がこんな思いで実家に帰っていることは、両親は知りません。きっと、「寂しいからまた帰ってきてるんだな」くらいにしか思っていないと思います。
でもそれで、いいんです。
自然体でいつも通りの家族でいることに意味があるから。
実は、このエッセイを書いているのは、式の二日前です。両親への手紙を考えながら、ふと書きたいと思いました。だから、当日二人がどんな風になるのか、今はまだ分かりません。そして、私自身もどんな風になるのかも分かりません。
けれども、やっぱり父ちゃんと母ちゃんの子どもだから、三人揃って泣いてしまうのだろうと、心の中で思いながら、式当日を迎えたいと思います。
人生でもっとも価値のある涙を流す、その日まで。
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