ぎっくり腰をして以来、加速する身体の悩み。続けられる対策を模索中

腰が痛い。肩も、首も痛い。
毎日どうにもならない身体の痛みを覚え、ときには激痛と戦っている。
初めて激しい痛みを覚えたのは、忘れもしない、大学3年生の夏。ぎっくり腰になってしまったのだ。
当時、友人らにその話をすると、「それ、大丈夫だったの?!」と非現実的なことのように驚かれ、「どんな症状だっけ」と質問されることがしばしばだった。
しかし20代後半を迎えた最近では、「ほんとにあれは激痛」「もう二度と経験したくない」といった、同じ経験を告白する同世代の仲間が増えてきたのであった。
予期せぬ痛みはある日突然やってくる。恐怖を覚えた、あの夏の夜を振り返ってみたい。
遡ること約7年前。春学期末試験の、最終日前夜だった。あと1日でテストから解放される喜ばしい日だ。
一夜漬けでテストを乗り越えることを習慣としていた私は(すでにここが反省点)、何日かまともに寝ておらず、血眼になってまとめノートや過去問の内容を頭に叩き込んでいた。
「っ……!」
その痛みは突然やってきた。言葉にならない声が出て、無意識に床へ崩れ落ちた。
身体に鈍い痛みが走る。今まで覚えたことのない激痛。しばらく突っ伏していた。
以前より、「少し腰の右が痛い」と感じたことがあって、同じ部分からの鈍い痛みであることに気がついた。それを強くしたような、ハンマーで叩かれたような感覚。
とてつもなく痛かったが、その時は真剣に痛みと向き合うより、優先すべき大事なことがあった。
明日のテスト勉強だ。翌日のテスト2つのうち、1つは暗記が中心の科目。半分もまともにインプットできていなかった。
ほんの少し痛みが和らいできただろうか。のそりと起き上がり、「うああ」と再び言葉にならない声を上げながら、机の上に置き去りになったノートを手に、今度はベッドに倒れた。あおむけになり、目と顔を動かしながら勉強できる姿勢を探した。
「明日起きれなかったらどうしよう」
一抹の不安が頭をよぎったが、明日の健康状態を考える余裕はなく、ただ目の前のノートを凝視。日付を越え、わずかな睡眠をとって明くる日を迎えた。
目を覚ますと、痛みはいくぶん和らぎ、起き上がることができた。腰に鈍さは残ったが、動くことはできた。なんとか大学へ着き、めくるめくテストは終わった。
同じテストを受けた友人を見つけ、昨日の出来事を伝えたところ、
「ええっ、大丈夫?病院に行った方がいいんじゃないの」
と諭された。
寝不足でもうろうとしていた私。意識は現実世界に戻り、テスト最終日の解放感を置き去りに、近所の整形外科へ向かった。「軽度のぎっくり腰です」と診断を受け、何かしらの処方を受けた。
幸い数日後に大きな痛みは消えた。しかし、「あの激痛をもう経験するのはいやだ」と、日常に少しばかり運動を取り入れることにした。近所のジムに行ってみたり、1駅分長く歩いてみたり。すると不思議なことに、これまで抱えていた腰の鈍さが軽くなっていった。猫背だった姿勢も少し良くなった気がした。
ただ、ここからが問題だった。私はもとより運動が得意でなく、そこまで好きでもなかったので、その時間がストレスになっていった。
だから社会人になってからは、日々の忙しなさを言い訳に、ジムから足が遠のいた。人付き合いは年々減り、行動範囲は家の周辺に狭まった。
さすがに少し動かなければ……!と、遠くのスーパーへ足を向けてみたり、おうちで簡単なヨガに取り組んでみたり。
身体を動かしたあとはスッキリする。しかし心ばかりの運動とあって、またすぐに身体は何らかの痛みを覚えた。腰だけでなく、最近では肩や首にも及んでいる。
抱える身体の悩みは年々増えていき、どうしたものかと戸惑うのだが、うまく改善できない。
接骨院やマッサージにときおり頼るのもいいのかもしれない。
細く、長く続けられることを絶賛、模索中である。
外国では「魔女の一撃」とも呼ばれるぎっくり腰。追撃されないバランスのとれた身体づくりを目指し、日進月歩。ステップアップを決意した年の瀬であった。
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