特集:私の成長

根暗と呼ばれた私だから。あの時言えなかった想いを、言葉で伝える

私の成長

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目の前で、数人の男女が誰かの容姿について笑っている。
クスクスと声をひそめて、時には指を刺して笑っている。
世界の中心が全て自分達を軸に回っている、そんな雰囲気を惜しげもなく出しながら。
そして、その目線の先にいたのは私だった。
だから馬鹿なふりをして「なんの話をしているの?」と聞くと、「えっ!べ、別になんでもないよ」と笑いを堪えながら、どこかへ去っていった。後ろ姿を見送る私を、他の人たちの憐れんだ目線を冷たく感じながら、拳をぎゅっと握るしかなかった。
この時から感じていた目には見えない「カースト」という圧力に、少しずつ怯え始めていたのだ。

◎          ◎

保育園の時は、明るく天真爛漫という言葉がぴったりだったかもしれない。けれども小学生からは全く別の世界が待っていた。
少しずつ容姿について考える年齢となり、学年が上がるごとに露骨に態度に出されていく。私は美人でもなければ、特別笑いのセンスがあるわけでもない。そして、何か特殊な能力があったわけでもないし、運動神経も良くない。
同級生たちがどこまでそれを感じていたかは分からないけれど、目に見えない劣等感に押しつぶされそうになっていく私は、物事を悲観的に考えるようになり、オドオドとした態度をとるようになっていった。俗に言う根暗としてカテゴライズされ、自らもハマっていったのだ。
カースト上位の男女はともに、顔が良く、スポーツができた。大きな声で笑い、誰かを馬鹿にすることで自分達の存在価値の大きさを測っていく。その材料に使われていた。
ひたすら不遇の学生時代を過ごしていた私に、友人と呼べる人間はいなかった。今考えても、差別的な態度に声を上げることはもちろんできなかった。

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大人になってもカーストの呪縛から解放されることはなく、人見知りというよりも、同年代の人たちと話すことが極端に苦手になってしまい、大勢の人たちが集まる場所に行けば、一言も話さなくなったり、挙動不審になったりしていた。
頭の中にあるのは、常に学生時代から言われ続けた言葉たちだった。
「ブスは黙ってどこかいけよ」
「ブスが話すと空気が悪くなる」
そんな言葉を吐き捨てられていた過去の言葉が。
悔しくて悲しくて、それでもどこかで見返したい気持ちもあったけれど、当時の私にそんな力は一つもなかった。

二十歳の成人式で私は、勇気を出して変わった姿を見せようと、成人式に出席することを決めて、当日を迎えた。しかし、急に根暗な部分が顔を出して、結局は会場の中にすら入ることができなかった。
綺麗にセットされた髪型も、自分で選んだ着物も「私には似合っていないのに、どうして見返せるだなんて思ったんだろう」と風に当たりながら、だんだん冷たくなっていく着物が余計に悲しみを膨らませていく。
気がつけば根暗な私も二十八歳になっていた。エッセイを書くようになり、今までの過去を洗いざらい書き続けていても、学生時代の記憶はそう簡単に拭い去ることも出来ずにいる。

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もう過去のことなんか忘れて、同級生たちはとうの昔に家庭を持ち、親になっている人もいるだろう。
本当は、人の容姿について誰かがとやかく言う事ではないし、馬鹿にしていい権利なんてどこにもない。間違っていることをしているのは相手の方なのに、人数の多さや自信に溢れた姿を見ると、どうしても怯えてしまうのが根暗のサガなのかもしれない。
けれども、私もこのまま黙って終わるようなことはしたくない。社会に出ればカーストなんてくだらない言葉はなくなると思っていた。

けれども現実はどうだ。
社会に出てもやっぱり同じように、品定めするように見てくる人もいるし、自分が優位に立っていると自信満々に言葉にしてくる人もいる。そして大半の人は、その言葉に傷ついて戦意喪失してしまうのだ。
これは私の戦いでもあり、どこかで同じ苦しみを今まさに抱えている人たちとも手を取り、戦うチャンスだと思っている。

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あの時、言葉で言えなかったんだ。
どうして容姿だけで人のことを決めつけるの。
もっとも醜く哀れなことをしていることに、何故気づかないの。
そう言いたかった。
それが当時の私には出来なかった。
今こうして文章を書くようになったのも、過去の自分を救うためにやっているのかもしれない。同じように苦しんできた人や、悩んでいる最中の人たちのためにやっているのかもしれない。

ただこれだけは言わせてほしい。
人の美しさは、決して容姿なんかじゃ決められないんだ。
他人を嘲笑い、自分の価値を見出している人を美しいとは言えない。むしろ、誰かの気持ちに寄り添うことができる人、そして他人の意見に惑わされず、正しさが何かを見極められる人こそ、真の美しさを持っている。
根暗という言葉は、とてもネガティブで嫌な聞こえ方をしているかもしれない。けれども、悲しい感情をたくさん味わい傷ついた人だからこそ、見た目だけで判断することなく、相手の立場になって物事が考えられる人だと思うんだ。そして、必要な言葉を必要な時に話せる力がある人だと思う。

何も考えずに言葉を発することが全てじゃない。好き勝手に自分の言いたいことだけを言うことが正しさじゃない。だから私は、根暗だと思われていたことを後悔していない。むしろ、少しくらい何かを抱えていないと、こんな風に言葉に出して想いを伝えることはできないから。
私と同じ感情を持っている人がいるのなら、あなたの辛さはいつか実を結ぶ時が来ることを、これからも伝え続けていこうと思うのだ。

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