「気にしてしまう」性格が嫌になる。「気付ける」という長所になれば

人から「考えすぎる」「繊細である」といわれることがある。
たとえば、誰かが怒鳴っているといったあまり雰囲気の良くない環境にいると、自分が怒られていなくても、「苦しい」という気持ちに包まれる。
頭が締めつけられるようになって、涙が出ることもあった。考えるよりも前に、勝手に感情が揺らぎ、気持ちがあふれてしまうのだ。
ほかにも気にしなければいい些細なことでさえ、一度苦しくなると、その渦の中からなかなか抜け出せない。
嫌なことは忘れよう。前向きでいよう。
心で前向きな言葉を唱えて、気持ちを切り替えようとしても、思うように感情は動いてくれない。
どうすれば生きやすくなるのだろうか?
ふとしたときに考えてしまう。
「自分が笑顔でいることがまず大事だよ」
「よく気付くことは長所。それを活かせる場所にいたらいいんだよ」
この前向きな言葉の数々は、全部、人から教えてもらったことだった。
そのうちの一つが、学生時代の友人だ。
彼女は人に何か理不尽なことや嫌なことを言われると、自分の全てを否定された気持ちになって、自分の殻に閉じこもってしまうという。
数年前、何かのタイミングでお互いの悩みを打ち明けることがあった。私とその子が話す内容や感じ方にいくつも共通点があって、すごく驚いた。
人から「考えすぎでは」と言われてしまったという体験も、「うんうん、わかるよ」「そんなことないよ」と話に聞き入ってしまった。
もう一つは、自分の体験を話していた同世代の方のYouTubeやエッセイだった。「私もです」と記されたたくさんのコメントを見たことは、本当に衝撃だった。
こんなにたくさん、同じように悩んでた人がいたんだ。考えすぎることが辛くて、苦しみを覚えたのは私だけでなかったんだなあと知って。
ようやく最近、こんなふうに自分の性質を客観的に知ることができて、だからきっと過去より楽にいられている。
すごく、すごくありがたかった。
けれど、本音で話すと、なんでも敏感に察知しすぎてしまうところは、直せるものなら直したい。
この「気付いてしまう」ことが「気付ける」という長所になりうるとしても。
勝手に気付きすぎてしまい、苦しみを覚えたあと、その気持ちが雪解けするまでの期間がとても苦しい。
しかし、性質を全て変えることは簡単でなく、受け入れるしかないのかもしれない。
自分をもっともっと理解して、前向きになって、笑顔でいられる時間が増えたらいいなあと思う。
雪解けには時間はかかっても、その分、いつか凛とした花を咲かせられる自分になれたら。
「繊細な私だから、こんなふうに色んなことに気が付けるんだよ。すごいよ。私は私のままでいいんだ」
こんな風に自信を持てたら、素敵なんだろうなあと理想を思い浮かべてみた。
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