役所からの一枚の紙が「働いて社会に貢献しなさい」と私に迫ってくる

それは一枚の紙から始まりました。
市役所から届いた封筒には、数枚の支払いの紙が入っていて、安いとは到底言えない金額が書かれていました。つい口から出てしまった「生きているだけで、息を吸っているだけで、お金が逃げていくみたい」という言葉。
決して今の生活は裕福ではない。私は無職で、今の暮らしが成り立っているのは紛れもなく、夫の収入があるからです。辞めてからどんどん逃げていくお金たちは、今後の生活への不安と恐怖を感じさせてくるのです。
それほど苦しいなら働きに出ればいい。そう思われても仕方がないけれど、つい最近までうつ病になりながら働いていた仕事をやっとの思いで辞められたのに、また、一から人間関係を作り上げて、そこでも壊れることがあったらと思うと、中々勇気の一歩は踏みだせない。
躊躇なく届けられた支払いの紙は、まるで「この時代を生きたいなら、心を壊してでも、何をしてでも働きなさい。そして、収入を得て社会に貢献しなさい」そんな風に言われているような気がしました。
生きることは簡単ではない。それはだいぶ昔から分かっていたはずだった。けれども実際に仕事を失い、うつ病となった心にはとても重くのしかかってしまうのです。
そして何より「あぁ、生活が苦しいってこういうことなんだ。生きるって簡単じゃないんだ。とても難しくてしんどいことなんだ」と思わざるをえなかったんです。
届いた支払いの封筒を直視することができず、そっと机の上に伏せて置きました。なんだか猛烈に現実逃避をしたくてたまらなかったから。
これまでにも何かにつけて、お金たちは私に見向きもせずに、どこかへ飛んで逃げていきました。明日食べるものがないわけではない。生きるか死ぬかの瀬戸際ってほどではない。
ただ、心に余裕がないんです。
こんな時は「社会の底辺」という言葉が妙に私にぴったりだと思ってしまう。
仕事をして社会に貢献して生きている人たち。その人たちからしたら私の存在は、ただの甘えでしかないのかもしれない。その分、心の負担として、見えない重圧に押しつぶされてしまいそうなんです。
久しぶりに味わった惨めさは、いつまでも私の心を掴んで離そうとしませんでした。
仕事に行っていないこと、収入がなくなってしまったこと、そして、自分の力は無力だということ。いずれは仕事をしないと生きていけなくなる。夫の収入だけではいつか負担をかけてしまうことになる。
けれども社会に出ることが怖い。とても、とても怖いんです。
自分に合った仕事はなんなのか、どんなことが出来るのか。そう考えた時、やっぱり保育士がやりたい、そんな風に考えてしまう。心のどこかで辞めたことを悔やんでいる気持ちが、拭い切れていないのかもしれません。
子どもたちと過ごした日々が、一番生きていることを実感できていた。笑い声に囲まれて、時には一緒に泣いたり悩んだりした。その一瞬一瞬が輝いていたし、何より全てだったような気がします。ただ、どれだけ想い続けても戻ることもできなければ、私の居場所も、もうないんです。
辞める前は、人間関係に苦しみましたが、辞めた後は生きる希望を見失いつつあることに、苦しんでいる。そんなことを考えながら、支払いの紙を手に取ることが出来ずにいます。
いつか「あの時は苦しかったよね。生きることに精一杯だったよね」なんて笑って言える日が来るのでしょうか。
社会から外れてしまった存在として、今日も生きることの意味を探す。
そんな毎日を今はただ、嘆くことしか出来ない自分に、うんざりしてしまうんです。
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