忘れたくても忘れられない言葉がある。
私の運命を変えてしまうほどの、影響力があった。それはまるで生き方さえも否定された、そんな言葉だった。そして大人になった今でも、心のシコリとして残り、いつまでも縛られ続けている。
小学三年生になったばかりの春、初めて異性に言われたセリフ。

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それが「お前って、ぶりっ子で気持ち悪いよな」だった。
廊下を歩く私に、突然吐き捨てていかれた心無い一言。周りにいた同級生たちの笑い声と、走り去っていく音だけがいつまでも響き続けていたあの日。
“ぶりっ子”という意味はわからなくても、決して褒められていないことくらい分かる。何より「ぶりっ子で気持ち悪い」というフレーズは、嫌悪感を示していることだと感覚的に感じてしまう。つまり「僕にとって君の存在は、視界に入れたくないほど嫌いなんだ」そんな風に言われたのだろう。
あまりにも突然で衝撃的な出来事だったから、スカートの裾をキュッと握り、その場で立ち尽くすことしか出来なかった。まだ知らない“ぶりっ子”という言葉は、何度も繰り返されて、身動きが取れないようにしたのだ。
今すぐにでも誰かに聞いて、答えを知りたかった。どういう意味なのか、何故そんなことを言われなきゃいけないのか。ただ当時の私にはどうすることも出来ず、ただ彼らの行動から拒絶されていることを受け止めるしか出来なかった。

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それから数年が経ち、私が小学五年生になったある日のこと。
同級生が“ぶりっ子”というワードを使い、何やら話をしている。誰が聞いても悪口であり、いい意味でないことは明白だった。その内容をこっそりと聞きながら、ようやく謎が解けた気がした。
その日私は家に帰り、お気に入りのフリルがついたスカートをゴミ箱へ捨てたんだ。赤色の服、ピンク色の服、可愛いと思っていたもの全てをゴミ箱にこっそり捨てた。
お母さんが買ってくれた思い出の服より、同級生たちに嫌われない方法を選んだ。その日から、私は言葉遣いを男の子のような話し方に変えた。自分が好きだったもの、そして私自身の存在を捨てて、全く違う存在になることを決めた。

次の日、私はズボンを履いて学校へ行った。自分が持っている洋服の中で、限りなく地味なものを選んで。そのことについて同級生たちが触れることはなかった。
それでいいんだ。
また何かの拍子で傷つけられるくらいなら、捨てたほうがマシだった。
小学五年生から私は、男の子のように振る舞うことを意識して過ごすようになった。自分を偽る生活は、この先十年以上もの間、続くことになる。ぶりっ子と言われたあの日からずっと……。

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二十八歳になった今、世間では多様性や個性を尊重する動きが増えてきた。自分らしく生きることが大切だと、テレビやSNSでも見かけるようになった。だから、今まで偽りの姿で過ごしていた人が、本来の姿を少しずつ出しながら活躍する機会も増えていると思う。
もしも、小学生の私に誰か一人でも「あなたが好きだと思うものを、貫けばいいんだよ」なんて言ってくれたら生き方は違っていただろうか。もしも「あなたの生き方はあなたが決めるものだから、他人が口出しするなんておかしい」と言ってくれる人がいたら、悩まずに済んだだろうか。
あの日言われた言葉がどうも離れない。だから、大人になってからも自然とメンズファションを着たり、髪型もいつまでもショートのままここまできてしまった。
けれど心の奥底では、女性らしい服を着たいと思う自分がいたり、髪を伸ばしてみたいと思う自分もいたりする。そしてどこかで「そんな姿は似合わないよ。だってぶりっ子みたいで気持ち悪いから」と言われているような気もしてしまうのだ。

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始めにも書いた通り、忘れられない言葉はいつまでも無数の糸のように絡みついて、離れることをしないんだ。どれだけ解いてもこんがらがった糸を、取り切ることは出来ないんだ。
かつての同級生は、そんな言葉を吐き捨てたことなんて忘れているだろう。きっと知らないところで何事もなかったかのように、生活をしているのかもしれない。
本人に届かなくてもいい。それでも軽はずみに言った言葉が、誰かの運命を変えるほどの影響力があることを知ってほしいと思ってしまう。あなたの言葉で傷ついた私のように。好きなものを好きだと言えなくなってしまった私のように。使い方ひとつで、凶器になってしまうことを知ってほしいと思ってしまう……。

唯一の味方でいなければいけなかった私自身も、好かれたいばかりに裏切ってしまった。
小さかった私には、自分の好きを貫くことも励ますことも出来なかった。
スカートの裾を握りしめ立ち尽くす私に、今なら言えるのに。「堂々とすればいいんだよ。誰に何を言われてもあなたの好きな物を、好きなことを貫けばいい。誰かが言ったちっぽけな言葉なんて、気にしなくていいんだよ」って。それが言えなかった私に、今はただ、謝ることしか出来ないんだ。

偽ることを選ばせてしまって、ごめんなさいって。