悲しい経験をありのまま書く。だれかの勇気になる手助けになるように

書くということは、自分をさらけ出すこと。書くということは、等身大の姿になること。そして書くということは、関わってくれた全ての人たちへ恩返しとして使うもの。
私はそうやって、文章を書いてきました。
直接言葉で言えない分、その時の感情だったり、思いだったり、時には願い事も込めたりもする。
昔はよく、友人と手紙を交換したことがありました。父の日や母の日、誰かの誕生日にはそっと手紙を添えて渡したこともありました。手紙を渡した時、嬉しそうに読み進めていく顔が好きだから。何度も何度も読み返して「ありがとう」と言ってくれる表情が好きだから。
その気持ちは今も昔も、変わっていません。エッセイを書いていると、どうしても不幸な話ばかり書いてしまうんです。あまりにも幸せな経験が少なくて、悲しい出来事が多すぎて、過去の気持ちを浄化するために書いていました。
ただ、たまに大切な誰かの顔を思い浮かべて、感謝の気持ちを真っ直ぐに伝えられる文章を書くときがあります。意識して書いているわけではないんです。本当に、嘘偽りのない正直な私の気持ちが出てきた時だけ、書くことができる文章なんです。
この一年は、人生で最も文章を書いた年でした。パソコンに向かいながら、イヤフォンをつけてお気に入りの歌をかける。過去に遡って文字にしてみたり、今の生活を書いてみたり。
時には自分で書いているのにも関わらず、涙を流しながら書くこともありました。
書く作業は、正直言って楽しいよりもしんどいことの方が多いです。思い出したくない過去をあえて思い出さなければいけない。言葉の羅列の中には、喜怒哀楽の全てが含まれています。
そんな私は、ノンフィクションしか書けません。自分が体験したことを、当時の気持ちのままぶつけることしかできないんです。だからこそ、感情のままに書けるのではないでしょうか。
ある時は、文章を書くこと自体止めてしまおうと考えたこともありました。誰かと比べてしまうことが辛かった。自分にないものを持っている人が羨ましかった。その力の差に、愕然とさせられた。それが一番辛かったんです。
そんな時、友人に宛てたエッセイに「書いてくれてありがとう。嬉しかったよ」と言われたことがありました。家族に宛てた文章で母は「泣いちゃったよ。よく書けているね」なんて言ってくれました。父は陽気な人だけれど、恥ずかしがり屋だから「もっとこのエピソードも入れて欲しかった」なんて照れ隠しで言うんです。そして、夫は私の文章を読みながら可能性を広げてくれました。
止めようとした途端、皆好き勝手なことを言ってずるいですよね。
でもそれが何より励みになっているのだから、私もやっぱり書くことが好きなのかもしれません。
私のエッセイは、万人受けしません。あまりにも暗く重い内容はやっぱり、万人受けしないんです。ただ、同じ気持ちを味わった人たちや、苦しみの中にいる人たちに届くこと、そして私の言葉でよければ、勇気に変える手伝いをしたいんです。
かつて言葉で救われた根暗な少女が、今度は自分のエッセイで傷を負った誰かを救う物書きになれるように、ありのままの姿を書き続けていこうと思います。
それが私のスタイルであり、私にしかできない文章の書き方だから。
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