「がんばる姿が誇らしい」と応援してくれる両親。書くことが親孝行に

今年もサンタクロースから手紙が届きました。年に一度のお母さんサンタからもらえる手紙が。そこには、
「保育士を辞めて新しい夢を見つけましたね。夢に向かって頑張る姿は、とても誇らしいです。結果はすぐに出るものではないけれど、諦めずに続けてください。応援しています。サンタより」
そう書かれていました。
私が文章を書き始めたのは、去年の11月頃でした。その頃は何をしたいかなんてビジョンはなかったから、とにかく過去のことを日記のように書いていました。もちろん両親にもやり始めたことは、言っていませんでした。
それから3ヶ月後の2月。私の書いたエッセイが初めて記事になりました。画面越しには私が書いた文章があって、何度も何度も読み返しました。
その時に、両親に文章を書いていることを伝えました。2人にサイトのリンクを送り、読んでもらえるかドキドキしながら、返信を待ちました。読み終えた後、「すごいじゃん!よかったね。これからも頑張って」と言われて、嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ちになりました。
初めて載った時の気持ちが忘れられなくて、暇さえあれば文章を書き、応募する。時には、コンクールにも応募したこともありましたが、結果はそう簡単についてくる訳もなく、上手くいかないことも多くありました。
今まで書いてきた文章は、家族のこと、友人のこと、仕事のこと、時には子どもたちのことがほとんどです。それぞれの想いを文字にしながら、ありのままの感情を綴る。両親がどこまで読んでいるかはわかりませんが、2人の話が載った時は、必ずリンクを送っていました。その度に、それぞれの言葉で感想をくれたり、夢を応援してくれるような言葉をくれたりもしました。
私の両親は厳しい人ではあるけれど、私のやりたいことを否定したことは一度もありません。子どもの頃からずっと。
空手を習いたいと言えば、お父さんも一緒になって数年間習わせてくれました。高校ではよさこいを、大学ではダンスをやっていました。遠征があったり、発表会があったりした時も、必ず見にきてくれました。
どれだけ忙しくても時間を割いて、見にきてくれました。終わった後には、頭をポンポンっとしながら「よく頑張ったね」とだけ言って帰っていきました。
社会人になって夢だった保育士になった時、誰よりも両親が喜んでくれました。「素晴らしい仕事だよ。保育士は素敵な職業だ」そう言ってくれました。
けれど、人間関係が上手くいかずに壊れそうになった時には、「自分を犠牲にしてまでやらなくていい。またやりたいと思えばやればいいから」と決して無理強いはしませんでした。
それは子どもの頃から変わっていません。学校で嫌なことがあれば、「嫌なら行かなくていいよ。やり方はいくらでもあるから」と言ってくれていました。
そして今、私の夢を2人は応援してくれています。
仕事を辞めて、無職になって、夢を追いかけるなんて馬鹿げているかもしれない。
けれど両親は言うんです。
「本物になりたいなら、そのための努力をしなさい。本を読んだり、素晴らしい作品に触れなさい」と。そこには「諦めなさい」とか「仕事をしなさい」という言葉は、一切使わないんです。
「夢があるならとことんやってみろ。冒険してみろ」
そんなふうに言う人たちなんです。それは私にとって、どれほどの勇気と励みになっているか。
文章を書くことは、私にとって一つの親孝行になっているのかもしれません。
今まで言えなかった感謝の気持ちをこうして、書くことができる。それが私なりの伝え方なのかもしれません。
夢を叶えることは簡単なことではありません。時には自分のことさえ犠牲にする時だってある。だからこそ、夢が実現するかなんて先のことは分からないけれど、やり続けてみたいのです。
夢が叶うと、信じて応援してくれる人たちがいる限り。
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