文章を書き始めてもうすぐ、一年が経とうとしています。

書き始める一日前に、私は友人に言いました。「元彼たちにされたことを文章で書いてみようと思うんだけど、どうかな」と。それは、まだ付き合ったばかりの夫が詩を書いていたことに、かなり影響を受けた発言だったと思います。

夫の詩は、正直よく分かりません。今でもあまり分かっていないけれど、「この人でも文章が書けるなら、私も一度やってみようかな」それくらい安易なものでした。
友人は「いいじゃん!やってみなよ。散々酷い目にも遭ってるしさ、色んなこと書いて復讐してやれ!」。
その一言で、元彼への復讐計画はスタートしました。

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初めの頃、私は書いた文章をボイスに撮って、友人や夫に送っていました。その都度、感想と改善点をもらいながら、どんどん書くことにのめり込んでいったのです。
初めこそ復讐が目的でしたが、文章を書き続けていくうちにどんどん変化していきました。それは、今まで封印してきた過去の思い出をさらけ出すようになったことです。いじめにあっていたこと、友だちが出来ずに寂しい思いをしていたこと。時には、恋愛の話もしたり、つい最近では仕事の話をしたり。元彼以上に書くことが多くて、どんどん文章の世界へ入っていくようになりました。気がつけば毎日パソコンに向かい、文章を書くようになっていました。

エッセイや詩を書いている人も多く、私なんかよりも素晴らしい作品を生み出している人がいる。それが猛烈に悔しくて、またパソコンへ向かって書く。
そんな生活を送るのが、いつしか当たり前になっていたんです。
一年前の今頃、こんな姿になっている自分を全く想像していませんでした。きっとそのうち飽きてしまうだろうなんて思う時さえあったのだから。

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文章を書くことは、自分の言葉に耳を傾けることと同じだと思います。
あの時言えなかった気持ちを、今の私が代弁している。あの時悲しかった思い出を、文章に書くことで消化していく。

文章を書いているというよりも、頭の中で流れている映像を書記のようにメモを取る感覚なんです。だから、書き終わった後に書いた文章を読み返すと「私、こんなこと思っていたんだ。あの時は、これが辛かったんだ」と客観的に見ることができるんです。
それはまさしく、私の心の奥の奥にある本当の部分なんだと思います。その時々の感情を切り取りながら書く作業は、まるでカメラのシャッターを切り、思い出として鮮明に映像化されていくんです。

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ようやくなんです。
私自身と向き合い始めたのは。
他人の言葉だけに耳を傾けていた過去と違って、私自身に耳を傾け、目の前に広がるものを見ようとしているのは。
書き続けることは簡単なことではありません。過去の自分と向き合うことも簡単なことではないんです。

ただ、この手を止めてしまったら、私には何も残らなくなってしまう。もしかしたら、昔みたいに何も言えずにただひたすら我慢する生活に戻ってしまうかもしれない。それが何より怖いから、どんな状況でも私は書くことを決めました。
「続けることは、どんな才能よりも素晴らしいものなんだ」と教えてくれた人がいました。他の人と比べて、秀でる才能はないかもしれない。ただ一つ、書き続ける才能だけは離さず掴んでおきたいんです。
こんな私の文章を、読んでくれる人がいる限り。そして、誰よりも自分自身のために。