結婚式をする前、私は夫のママを怖い人だと思っていました。そして、ママも私のことを好きじゃなかったような気がします。
初めて会った日、ママは私の目を見ようとはしないで、作った笑顔で出迎えました。まだ恋人同士だったし、同性の訪問をよく思わない気持ちも何となく分かるから、気にしないようにしていました。

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少し事情は変わって、ママは私にとって義母となりました。
ママにとっては半ば強引だったかもしれません。ママは、少し前まで母国のフィリピンへ帰っていました。しかし、両家顔合わせのために日程を早めて日本に帰国してもらったのです。
だから余計に頭の中は混乱していたのでしょう。一人息子が取られてしまう。急に結婚なんてしたら簡単に会えなくなってしまう。そんな葛藤があったのではないでしょうか。ただそのことは口にしないで、表向きでは受け入れてくれているようなフリをしてくれました。

しかし、結婚式の準備が進んでいくうちに、どんどん不安や不満が溜まり、夫に電話で泣きながら訴えることもありました。
「私はすごく寂しいし、混乱している。勝手に決めるなんて」
そんなようなことを、ママは英語で訴え続けていました。仲良くしたくて会いに行ったこともあるけれど、上手くいくことはありませんでした。新婚早々に義母の問題を抱えてしまった……と思うしかありませんでした。
しかし、結婚式が終わってからのママの態度は180度とは言わないけれど、かなり変化があったのです。

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それは、数日後に夫の実家に行った時のこと。
到着したと同時にママはやってきて、両手を広げて私の名前を呼び、ハグをしてくれました。そして料理を振る舞い、色々な話をしてくれました。
今まであった壁のようなものが少しずつなくなっていく、そんな感覚でした。だから、私も歩み寄ろうと何度か夫の実家に行くようになり、その度にママと二人で話をしたり、お菓子を食べたりしました。
12月に入った頃、夫が「ママが12月の中旬にフィリピンへ帰るんだって」と教えてくれました。日にちも決まり、それに合わせて私も一緒に見送りをすることにしました。
いつものようにママと話していると、「フィリピンに行った時の服をコーディネートしてほしい」とお願いをされたのです。私は嬉しくなり、「ぜひ!一緒にやらせてください」と答えました。

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ママは服がとても好きで、夏服だけでもベッドが埋まるほどの量を持っています。私が何か欲しいアイテムを言うと「私持ってるよ!」とタンスを開けて出してきました。私が組み合わせたい色を言うたびに押し入れを探しながら「あっ!これもある」とまるで少女のように笑いながら教えてくれました。
私も「まさかこんな風にママと服の話ができるなんて」と不思議な気持ちと嬉しさで一杯だったと思います。コーディネートをするたびに、スマホで写真を撮りながら「忘れちゃうから」と一生懸命な姿も何だか少女のようでした。
あまりにも沢山の服があり、色々悩みながら選んでいると、「あ!この服好きなの」と見せてくれた服には、未使用であろうタグがついていました。しかも色違いも買っていても、それにもタグがついていたのです。これには夫も含めて3人が大笑いをしました。「お気に入りなのにタグ付きってなんでぇ」といつまでも笑いが止まりませんでした。
収集癖のあるママは、その後もタグ付きや色違いの服が次から次へと出てきました。その度に手を止めて笑い、結局2時間近くもかかってしまったのです。

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フィリピンに向かう前、嬉しそうな顔をしたり寂しそうな顔をしたりするママの姿がありました。日本を出る前の日に、ママは私と夫に「これ、クリスマスプレゼント」と言って渡してくれました。袋の中には、結婚式でママが着ていたワンピースの色違いが入っていました。
「あのワンピース可愛い、欲しいって言ってくれたから。私と色違いだけど」と照れながら渡してくれました。私の言った言葉を覚えてくれたことが、何より嬉しかったんです。夫は「クリスマスプレゼントなんて、珍しいじゃん」と不思議そうにしていたから、きっとママなりに歩み寄ろうとしてくれているのだと、改めて感じることができました。

そしていよいよフィリピンに旅立つ日、空港に向かう車内ではコーディネートした時の話を嬉しそうにしていました。時折少女みたいになるママと話しながら、時間を少しすぎたところで空港に到着しました。
手続きを済ませ、当分のお別れで私は思い切って「Mahal kita」と言いました。それは、ママの母国であるフィリピンの言葉で「大好き」と言う意味です。
聞いた時ママはビックリした顔をした後、同じく「Mahal kita」と返してくれました。この時初めて家族になった、そんな気持ちでした。
初めはぎこちなかった私たちですが、歩み寄りながら少しずつ家族になっていこうと思います。当分は会えないけれど、日本に帰国した時にはママの母国のタガログ語で言いたいと思います。

「mabuti naman dumating ka na(おかえりなさい)」と。