傷病手当の申請に立ちはだかったハードル。夫の顔を直視できなかった

年末にも関わらず、私たち夫婦は市役所に来ていた。
少し前に夫婦揃って新型コロナウイルスに感染したことで、二週間弱の地獄を味わい、家庭内はとても不穏な雰囲気に包まれていた。
追い討ちをかけるように、夫の職場から「隔離期間は終わっているのだから、少しでも体調が良くなったら出勤するべきだよ。それができないなら、減給になることは分かってね」なんて言われたもんだから、夫の精神的疲労は、計り知れないものだった。
周りに理解されず、後遺症に苦しみながら、前のような生活を送れるまでに回復したのは、つい最近のことだ。その話を私の母にすると、「減給されたら傷病手当がもらえると思うんだけど、一回市役所に行ってみたらどう?」そう言われた。
私は「その手があったか」と思い、すぐさま夫にその旨を伝えた。夫は目から鱗だと言わんばかりの顔をして、「なら市役所に今度行こうか」と決めたのだ。
夫の休みは水曜日と土曜日が基本だが、土曜日が出勤になることも多々あるため、確実に休みが取れる水曜日に行くことに決めた。
必要書類を用意して「少しでもお金がもらえたら、ありがたいよね」と嬉しそうに話す夫。ただでさえ私は無職で、夫の稼ぎのみに頼る生活をしていたのだから、減給されることは、家計にとってもかなり痛い。いくらもらえるかなんて分からないけれど、少しでも足しになることもとてもありがたいし、そういう制度はきちんと使っていかなければと思う出来事だった。のはずだったのだが、ここでも社会の冷たさと無力さを感じてしまうことになるとは……。
市役所に行く当日の日、この日は、私が仕事を退職したこともあり、年金の支払い免除の申請と共に行う予定だった。
世の中は、年末で仕事納めの人、仕事が休みになった人もいるのだが、市役所はそれほど混んではおらず、スムーズに年金の支払い免除の手続きを済ませることができた。
そして、いよいよ本命の傷病手当の申請。市の職員の方が、丁寧に説明をしていく。コロナになった日にちを聞かれ、いつまで休んでいたのかを夫の出勤計画と照らし合わせながら話を進めていった。話を聞いていくうちに、傷病手当がもらえる期間は四日間という話になった。
少し少ない気もするが、もらえないよりはマシだ。
しかし、ここからが問題だった。
傷病手当を申請するには、本人の記入と会社が記入する書類があった。それも会社側が記入する書類は、一枚は署名をするもの、もう一つは事細かく書かなければならないものの、二枚だ。
私はその瞬間、「会社にお願いをしなければならないなんて、無理じゃないか」と不穏な気持ちになっていく。淡々と説明を聞く夫の顔を直視できない私は、ひたすら自分の爪ばかりをみてしまった。
説明を一通り聞き終わり、書類を受け取った。歩き出して一番初めに出た言葉は「俺、無理だよ。会社に言うの……。もっと関係が悪くなる」だった。
コロナの期間中、生死を彷徨うほどの体調の悪化だったにも関わらず、心配の言葉ではなく「出勤してこい、周りが迷惑している。減給だから」となんとも冷たい言葉だった。
そんな言葉をかけられているのに、「傷病手当が欲しいので、書類を書いて欲しいです」とは、到底言えない。
それは、自らが孤立する道を選ぶことになってしまうから。
結局、夫はその書類をそっとカバンの奥にしまい込み、その後見ることはなかった。こんなところにまでコロナの辛さが待っているなんて、言葉にもならなかった。
世の中には、きっと同じように会社に言えずに減給を受け入れなければならない状況が、沢山あるような気がしてならない。本来なら当然の権利だと思うのだが、会社の状況や人間関係で言えずに、泣き寝入りをするしかない現状がそこにはあった。
中には環境が整い、コロナに感染しても、きちんとした対応をしてくれる会社もあると思う。ただ、それが言えない社会も沢山あることを、痛感させられたのだ。
雇われている身だから、どこか我慢をしなければいけない部分は必ず出てくる。私もかつて社会に属していた人間として、よく分かっている。
ただ、正当な理由でもらえるはずの権利を、人間関係が壊れることを恐れて、嫌味を言われることを分かっているから言えない環境は、間違っている。
けれど、それが現状なのかもしれない。
表向きでは良いことを言いながら、裏では結局何も変わっていない、そんな冷たい世の中に私たちは属していなければ生きていけない。
それが何より、悔しくて無力だと感じてしまったのだ。
たった一人の人間がどうすることもできない、そんな無力さが、一番辛かったのかもしれない。
どうしようもない、行き場のない感情を今はただ、文章にすることしか私には、できないんだ。
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