だいぶ、お久しぶりになってしまいました!
2022年は、フェミにとってもいろいろ限界突破(!)の1年で、ジェンダーレス制服や、フェムテックなどのワードが新常識となり、フェミニズム流行語大賞をこの「かがみよかがみ」でも開催したいくらいです。中でも、「インティマシーコーディネーター」というワードは、恒例の年末の流行語大賞にノミネートされました。

私としては、え?インティマシーコーディネーターって「流行語」なんか?とびっくりしました!
かがみの子たちは、うん、知ってる、という子も多いと思いますが、世の中の人々にどのくらい認知されているのでしょうか?


「知恵」→「恥ずかしさ」→「隠す」→「好奇心」で人類は続いてきた

インティマシーとは、「親密」とか「密接」などの意味ですね。
「密」という字が日本語で当てられているところがポイントで、みんながひそやかに隠しているもの、こと。
うーむ、かなり、ドキドキ、ワクワクする言葉ですよね。
アダムとイヴが楽園で暮らしていたときは、お互い全裸でもなーんにも感じなかったのに、蛇に知恵の木の実を食べたら美味しいよ、と唆されて、食べたら急に「恥ずかしさ」を覚えてしまったので、葉っぱでそれぞれ大事な部分を隠した。
「知恵」→「恥ずかしさ」→「隠す」→「好奇心」で、人類は今まで存続してきたのです。
人口が増える魔法のイノベーションすごいな、笑。異次元の少子化対策とはこういうことではないですかね?

「見てはいけない」と言われたら、逆に見たくなるの法則。
古来、人々は、あらゆる手段で、ダメ、見たい、ダメ、見たい、の営みを繰り返してきました。
皆さんは、古代ギリシャの壺絵などを、世界史の教科書などで見たことがあるでしょうか?あれは巧妙な誘い水です。
実は多くの壺絵には、webでUPしたら即座にBANされるような、とんでもない性行為の数々が描かれています。
自由すぎて、古代の人々も飽きてしまい、やっぱ隠してなんぼよ……となって、旧約聖書の葉っぱが登場したのかもしれません。



インティマシーコーディネーターとはいわば「葉っぱ奉行」

話をインティマシーコーディネーターに戻しましょう。
インティマシーコーディネーターは映画やドラマ、テレビの情報番組やCM、新聞、雑誌などメディア全般において、出演、露出する人たちの下着姿やヌード、キスシーンやベッドシーンなどの性的な接触がある場面において、介在する第三者のことで、それぞれの許容範囲を聞き取り、調整して、同意をとる役割を果たします。
思えば#MeTooもこの業界から告発が相次ぎ、世界的に人権についての認識が高まりました。また、SDGsの普及などをベースに、従来のマスメディアに加えて、ネットでのストリーミングプラットフォームなどを中心に、ポリティカルコレクトネスが、制作に大きな影響をもつようになりました。
つまり、ヌードなどの露出があるシーン、および性的なシーンを描きたい場合に、インティマシーコーディネーターという、いわゆる「葉っぱ奉行」を現場につけよ、という時代に突入したのであります。

先日、1960年代の名画、「ロミオとジュリエット」の主演俳優たちが、当時10代半ばで、裸体や性的なシーンを演じることを強要されたことを告発しました。もし当時に、ちゃんとインティマシーコーディネーターがいたら、このような問題は起きないわけで、俳優を守るためにも、完成後に大きなトラブルにならないためにも、制作現場にとっては大きな保険と言えるでしょう。

世界で日本の「エロ」コンテンツが人気なわけは?

日本では、芸術作品やメディア全般におけるこうしたインティマシーな場面を昔から「濡れ場」と言います。詩的な表現です。
こういう言葉が生まれるくらい、日本の映画史は、性的なシーンに彩られてきました。日活ロマンポルノ、などが有名ですが、いわゆるポルノやピンク映画というジャンルは、今ではAVという名でも引き継がれています。日本だけではなく、世界で日本のこうしたいわゆる「エロ」コンテンツは大人気です。

私も、パリに滞在していたときに、フランスでの母であり、フェミニズムの闘士である間借り先の大家マダムと原付でニケツしながら、日本の日活ポルノ映画をたびたび観にいきました。
欧米だけではなく、中国や韓国などのアジア諸国でも日本のエロは大人気。
もともと、日本はエロコンテンツの先進国なわけです。なぜか?おそらく、そこには独自の「恥ずかしさ」や「秘するが花」の美学があるからでしょう。
先ほども申した通り、どうぞどうぞ!と出せば出すほど、興醒めしていくのがエロの真理でして、欧米のポルノが、うへー、イマイチ、であると感じたことがあるのは私だけではないはずです。

欧米では常識だから、と「流行語」としてとらえるのではなく

ただ、こうした日本の過去の作品において、高度なエロにこだわる演出において、演じる人が想定していなかった自然さやリアルさを求められて苦しんだ背景を見過ごすことはできません。インティマシーコーディネーターの資格はあくまで米国基準のものなので、日本の「エロ」にあてはめると日本の「エロ」のよさが消えてしまうという危惧もあります。
「インティマシーコーディネーター」を、イマドキの流行語として捉えるのではなく、また、欧米では常識だから、制作現場につけなければ、というような義務的な立場ということでもなく、今後、もっと日本の制作事情や現場に応じた、いろいろなインティマシーコーディネーターが登場してきたらいいと思います。ポルノやAVの出演者だった人、弁護士として法律の知識が豊富な人、エロの歴史を研究してきた人――などなど。

そもそも、これまでは「ギョーカイ」として、制作に携わる人々が、閉鎖的な狭い世界の価値観を内面化して、ポジショントークのように自分は「監督」や「出演者」、「プロデューサー」というように役職や役割のもつ響きに左右され、同じ現場にいてもコミュニケーションが分断されてきた、というような背景があります。そうしたこれまでのやり方が、制作の自由度を逆に狭めてきたとも言えます。だからインティマシーコーディネーターも、流行の新規ポジションであってはならないのです。
今こそ、多様な「葉っぱ」が、日本の映像コンテンツを豊かにしていくことを願ってやみません。