最後のマラソン大会での敗退。教師の言葉に、悔し涙も止まった

小学六年生の冬、学校生活最後のマラソン大会が始まろうとしていました。
薄手の長袖に短パンを履いて、先生の号令と共に体操をする。白い息と鼻先の冷たさがツーンとする感じが、マラソン大会のスタートを知らせているように思えていました。
私は、運動があまり得意ではありません。運動会のかけっこはいつもビリで、毎年泣きながらトラックを走っていました。応援されることが恥ずかしくて、運動ができない自分がカッコ悪くて。そんな姿を晒していることが、何より情けなくて。
ただマラソン大会だけは、何故かいつもにはない能力を発揮して、七十人ほどいる中での十番台にいることがほとんどでした。
滅多に活躍しないもんだから、両親たちはマラソン大会に密かに期待をしていたと思います。ただ、あと一歩のところで弱さが出てしまい、十番以内に入ることはありませんでした。
マラソン大会の前夜に「今年で最後のマラソン大会だから、十位以内取ってこいよ」と父に言われ、二人で約束をしました。家族の思いも背負った気分になった私は、この大会に並々ならぬ想いがあったのです。
スタートした直後、早い子たちはぐんぐん私たちを引き離していきました。
けれども負けたくない一心で、追いつこうと必死で走りました。風が冷たくて頬が痛み、足に突き刺さるような寒さもなんとか耐えながら、走り続けました。
「絶対、絶対十番以内に入るんだ」
それだけを励みにしていたからです。
技術なんてないし、普段から根性がない私でも、この日ばかりはなんとかして賞状が、目に見てわかる証が欲しかったんです。だからこそ、どれだけ挫けそうになっても、抜かされそうになっても私は歯を食いしばり、寒さと喉の奥から少しだけ血の味がしながらも、走り続けました。
ようやくゴールが見えた時には、私は丁度十番目になっていたのです。誰かから「あと少し!あと少しで賞状だよ!」という声が聞こえてきたから、最後の力を振り絞って走り抜けました。しかし、横にはもう一人の子がいて、タッチの差で私は十一位になったのです。
周りは十位になった子に「おめでとう!抜かせてよかったね」と声を掛けている。私は放心状態になりながら、番号が書かれた紙をただ黙って見つめることしか出来ませんでした。目の前で起きていることがまるで夢だと思いたくて、理解したくなくて、ひたすら紙を見つめることしか出来ませんでした。
悔しくて、悔しくてたまらなかった。気がつけばポロポロと悔し涙まで出てくる始末。
すると当時の担任が私の横にきて、「あなたって、本当に悲劇のヒロインよね。泣かなくてもいいんだよ。たかが、マラソン大会じゃない。元気出して」と励ましてきました。その言葉は、私を深く傷つけ、さっきまで流れていた涙は嘘のように引いてしまったのです。
今思えば、担任の言葉自体に引いてしまったのかもしれません。大人にとっては、ただの行事かもしれない。けれど、子どもだった私にとって最後の勝負だったんです。子どもながらに「こうやって人は、知らないうちに傷つけるようなことを言うんだな」と。
それ以来、私は担任と必要最低限の会話しかしなくなりました。それまで特に何かを話していたわけではないけれど、完全に心を閉ざしたのです。
一生懸命やったことを馬鹿にされたことが、許せなかった。あの時の気持ちを踏みにじられたようで、悲しかった。ただただ「頑張ったね」と言って欲しかった。
大人になった私は、少し前まで保育士をしていました。子どもたちが何かに真剣に取り組んだ時、私は余計な言葉を口にはしませんでした。
遊びの中での勝負事や、運動会などのリレーなどでも余計なことは言いません。ただ、黙って「よく頑張ったね」の意味を込めて抱き締めるんです。
当時の私がして欲しかったことを。あの時、言葉ではなくぎゅっと抱きしめて、気持ちを分かって欲しかった頃を思い出しながら。どんな時でも彼らの頑張りを、言葉ではなくハグという方法で表現していました。本当に大切なことは、言わなくても伝わるはずだから。
もし、先生が何も言わずに「頑張ったね」の思いを込めて、抱きしめてくれたら、私は救われたかもしれません。順位なんかにこだわらずに、全力を尽くしたことを誇りに思えたかもしれません。
私には子どももいないし、保育士を辞めてしまった今では、子どもたちの一生懸命頑張る何かに立ち会うことは無くなってしまいました。ただもしも、この先全力を尽くす場面に出会える機会が来たら、どんな結果になろうとも、そっと抱きしめたいと思います。
「最後までよくがんばったね」と言う代わりに。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。