寂しい思い出が刻まれた場所は、父にとっても忘れられない場所だった

私がまだ三歳の頃、二週間だけ石川県にある祖父母の家にいたことがあります。
幼かった私にとっては永遠にも感じられる長さを、一人寂しく過ごした過去。盆と正月は必ず石川県に帰省をしていて、ちょうど正月に会いに行ったとき、私の運命は変わってしまったのです。
母は、弟を妊娠していてお腹はだいぶ大きくなっていました。そんな母に「水筒のお茶が飲みたい」と言いました。すると母は、大きなお腹でゆっくりと立ち上がり、二階にある部屋へと向かいました。少し急な階段を慎重に登り、お腹が大きくて少し見ずらい階段をゆっくり降りていたとき、ドタドタドタと大きな音と「い、痛い!!!」と叫ぶ声がしました。
大人たちは、慌てて母に駆け寄り、私は後ろの方で様子をうかがっていました。お腹を守りながらうずくまる姿に、大人たちは「このまま病院に行く」と言って、父は母を抱えて車に向かいました。病院に行くと、お腹の子どもに問題はないけれど、数週間の入院が必要と言われ、母は一人、石川の病院へ入院することになったのです。
父は仕事のために一度帰らなければならない。小さな私を連れていくわけにもいかず、三歳の私は祖父母の家で過ごすことになりました。
訳もわからず置いて行かれた恐怖と、寂しさで声を上げて泣き、玄関で父が戻ってくることを待ち続けていました。しかし、「今日から、ばあちゃんの家で過ごすんだよ」と言われた時、完全に置いて行かれたんだと絶望した記憶は今でもあります。ただ、金曜日の夜から日曜日まで父は、片道約七時間かけて石川県に会いにきてくれました。
来る日を毎日指折り数えて待ち続けていた私。父と会えた時はあまりの嬉しさに、ずっと一緒にいたような気がします。そして、近くの大きなアスレチックがある場所へ、毎回連れて行ってくれました。雪が降る中、どれだけ寒くても「もう帰ろうか」と言われても、私は「もう少し遊ぶ」とひたすら遊び続けました。
このまま帰ってしまったら、また当分父に会えなくなってしまう、それが何より怖かったから。どれだけ寒くても、雪が降っても父は一緒に遊び続けてくれました。
私の心を察していたのか、寂しい思いをさせていることに心が痛んだのか、それは分かりませんが、ずっとずっと一緒に遊び続けていました。
日曜日になり、父が車に乗り込んだ瞬間、私はまた泣き続けました。祖父母が困るくらい、他の人に手を借りないとどうしようもないくらい、ひたすら泣き続けていました。そして、たまに母の入院する病院へお見舞いに行くと、母の手をギュッと握って、その場所から離れようとしませんでした。
寂しくて、寂しくて一人が怖くてたまらなかった。そんな生活が二週間ほど続いた頃、私の泣く姿があまりにも可哀想だと思った母は、退院の時期を少し早めて、石川県から私たちが住んでいる家へ帰ることにしたのです。
「本当にあんたは、大変だったよ」なんて石川県に帰る度に祖母に言われ続けて、気がつけば二十八歳になりました。
今年の帰省は、結婚したばかりだったので、夫を連れて石川県へ帰ることになったのです。
夫は、石川県に行くのが初めてだったので、父が色々な場所へと案内してくれました。その一つに、思い出のアスレチック広場にも、連れて行ってくれました。
雪がしんしんと降る中、車を停めて父、夫、そして私がアスレチックの前に立ちました。小さい頃に見ていた景色は、すっかり寂れて小さく見えていましたが、あの時、父と一緒に遊んでいた景色には変わりありませんでした。
父は「あの頃も、こんな風に雪が降っていたんだ。懐かしいな。寒くて帰ろうとすると『まだ、遊ぶ』っていつまでも遊んでたんだ。その姿は、本当に辛かった」と。夫も私の過去を体験するかのように、黙ってその景色を見つめていました。そして私は、少しだけ涙腺が緩くなりながら、「懐かしいね」と言葉にすることが精一杯でした。
置いて行かれたとき、本当に悲しくてたまらなかった。何度も何度も「お父さんに会いたい、お母さんに会いたい。おうちに帰りたい」そう泣いていました。ただ父の顔を見ながら、「きっとお父さんも辛かったんだ」と、過去の心に少しだけ触れたような気がしたのです。
そしてこの日、約二十六年ぶりに父と私は、思い出のアスレチックの前で写真を撮りました。
夫が持っていた一眼レフで。
撮った写真を見返しながら、あの時の姿を重ねていました。小さかった私と父の姿を。石川県の案内の中で、一番最初に訪れた場所が、思い出のアスレチックでした。私以上に父にとっても忘れられない場所だったのだと、二十六年越しに気付かされたのです。
私は大人になり、父は歳をとった。
ただシャッターを切られたあの瞬間だけは、昔のままの二人が映し出されていました。
大好きな父にやっと会えたと喜ぶあの時の私が。
そして、娘にようやく会えたと安堵する父が。
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