彼と下校するだけで「不純異性交遊」。先生は私たちを怒鳴り上げた

ハイビームをされてクラクションを鳴らされたと同時に、私たちに向かって怒鳴り声を上げる中年男性がいた。そう、それは高校の生活指導の先生だったのです。
先生は私たちを見るなり、「お前らは、不純異性交遊をしている。明日指導室へ来い」と言ったのです。そのまま車を走らせていく姿を、いつまでも見続けていました。当時付き合っていた彼氏と一緒に。
先生に「不純異性交遊」だと言われた日は、とても寒く陽が落ちるのも早い冬の日。一人で帰るのは危ないからと言って、彼が家の近くまで送ってくれる最中だったのです。
何かやましいことをしていたわけじゃない。悪いことだってしているはずもない。ただ、私の自転車を押しながら一緒に下校していただけのこと。なのに、先生は鬼の形相をして私たちにそう言いました。
彼は顔面蒼白になって「どうしよう、どうしよう」というだけでした。私はただただ納得が出来ませんでした。
悪いことをしていないのに、あたかも犯罪でも犯したかのような言い方をされたこと。大声で急に怒鳴られたことも、全く納得がいきませんでした。
結局その日は、彼に家の近くまで送ってもらい、帰宅をしました。家に帰り、母にその話をすると、「それは、おかしいね。もしなんかあったら母ちゃんが言ってあげるよ」と味方になってくれたのです。
次の日、学校に行くとやっぱり指導の先生がいて、私たちは別々の時間帯に「指導室」と呼ばれる場所に通されました。「さぁ、今から取り調べをするぞ!」というような顔をして、なんだか嬉しそうにニヤニヤしている姿が、正直気持ち悪くて仕方がありませんでした。
普段私は気が弱いから、誰かに歯向かったり、意見を言うことはありません。
ただこの時だけは、どうしても納得がいかなかったのです。まるで凶悪犯罪でも犯したかのように尋問されていくことが。そして「不純異性交遊」という名前を付けられたことも、腹立たしく思いました。
先生は「お前らは、学校という場所で何をしにきているんだ」と言いました。私は「夜道が危ないから、家まで送ってくれただけです。悪いことはしていません」と言い返しました。
すると「交際すること自体が間違っているんだ」と言いました。私は、何を言っているのか理解に苦しんでいると、「今回は、見逃してやる!だから、あいつと別れるんだ」とまで言われたのです。
流石に間違いだらけの主張に「それは、先生が決めることなんですか?勉強も部活も真面目にしています。その中で、いいなと思った人と付き合うことの、どこがいけないことなんでしょうか」と言い返してしまったのです。
するとみるみるうちに顔を赤くしながら、怒鳴り散らしてきました。大人の勝手な考えに振り回されていることに、余計に理解したくないと思っていると、他の先生があまりの怒鳴り声に指導室へ入ってきました。
「まぁまぁ、先生落ち着いてください」となだめられ、生活指導の先生は部屋から出て行ってしまい、二度と戻ってくることはありませんでした。途中で救いの手を差し伸べてくれた先生に、ことの経緯を説明すると、「うーん、それは行き過ぎだな。まぁ、バレないように気をつけろよ」とだけ言われました。
あの日の出来事は、今でも忘れることはありません。今でも、ブラック校則なるものがあって、嫌なこと言われたり傷つけられている学生さんがいると聞きました。ただ、本当に学生のためを思ってやっているとは思えない、言動や行き過ぎた教育がいまだに蔓延っている。
それを当時の私も感じたし、いまだに改善されていないことに呆れてしまいます。
規律を守ることは大切だと思います。ある程度のルールも必要だと思います。ただ、本当に必要なものなのかどうかは、大人たちがしっかり考えていかなければなりません。本当なら、人を好きになることも恋愛をすることも自由なことなのに。それをいけないことだと決めつけるのなら、彼らは恋愛を一度たりともしたことがないのでしょうか?
大人だからいい、子どもだからだめ、そんな勝手な考えは人の心をどんどん間違った方へと歪ませてしまう気がしてならないのです。
あの時言われた「不純異性交遊」という言葉は、この先もずっと私の心に傷を残していくでしょう。
未来ある学生さんたちが、のびのびと学校生活を謳歌できる環境が整うことを、私は強く願ってしまうのです。
あの頃の間違った方針のせいで、深い傷を負ったからこそ。
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