中学生のときに「ブス」と言われ、笑われたことを、今も忘れられない

忘れないから、あなたたちに言われたあの言葉を。
心の中でずっとリピートされ続けた言葉が、私を幾つになっても苦しめたんだ。
高校生だった私は、中学生のように体型を変えることで友だちを作ることが、何一つ意味を持たないことに気づき始めていた。
周りが少しずつ女の子から、女子に変わり始めていく。彼氏を作る人もいれば、男友だちと青春を謳歌している子もいた。
隅っこにいる私は、その姿を指を咥えて見ているだけ。
「あの子たちのように、気さくに話しかけたらどうなるだろう。なんて言われるんだろう。勇気を出して声をかけたら、仲良くなれるかもしれない」
そんなことを思いながら、1日が過ぎていった。
勇気を出せない理由は、私がブスだと言われ続けたから。声をかけられないのは、拒否されることが怖かったから。それでも憧れていたし、同じように楽しく会話をしてみたかった。何より、暗くて地味な私から抜け出す方法を探していたんだ。それでもやっぱり勇気が出るはずもなく、クラスの一人としてのポジションしかなかったんだ。
そんな時、一人の男子が声をかけてくれた。何か用事があって話しかけてくれたけれど、その優しさが嬉しかった。私に、優しく声をかけてくれる人なんて一人もいなかったから。女子の一人として接してくれたことが、何より嬉しかった。こんなことで喜んでいるのも、おかしいかもしれないけれど、それくらい当時の私にとっては特別なことだった。
そんなある日、私は聞いてしまった。二人の男子たちの会話を、偶然通りかかった時に。
一人が何やら私の名前を出して笑っている。その横で釣られて手を叩きながら笑っていた。
「あいつってさ、ブスだよな。あんな奴と付き合える奴いるのかよ」。「いや、俺には無理だね。一重で目つき悪いし、やっぱりブスだよな。女として終わってる」と。
本人が聞いていることも知らずに、容姿に対しての悪口が盛り上がっていた。
さっきまで優しく声をかけてくれたのに。心の中でそんなことを思っていたのかと、さらにショックを受けてしまう。
「あぁ、結局は顔なんだ。一重で目が細いことはそんなにいけないことなんだ」と、私がずっと見ようとしなかった部分を土足で踏み荒らしていったんだ。
そしてさらに悲劇は起こってしまった。当時なでしこジャパンが流行っていた時で、私の顔が一人の選手に似ていると噂が立ったのだ。
休み時間、教室の前に知らない男子生徒がぞろぞろと集まっていた。なんだろうと少し覗くと、私の方を指差して「あいつだ!あいつが似てるってやつだ」と一斉に私の方を見ながら笑い始める。中には、女子生徒もいて同じように手を叩きながら笑っていた。
私は、恥ずかしさと悲しさで胸が張り裂けそうだった。涙を見せたら負けだと、黒板側を向いて顔を見せないようにすることが精一杯の抵抗だった。
それから廊下ですれ違うたびにあだ名で呼ばれ、笑いの的にされることが増えた。当時は、少しでも女の子らしくなりたくて髪の毛を伸ばしていたけれど、その出来事があったすぐに、2年半も伸ばしていた髪の毛をバッサリショートに切ってしまった。すると、不思議と噂はぴたりと止んで、誰も何も言わなくなった。
ただ、あの時「ブス」と言われたことも、容姿をバカにされたこともしっかりと心の傷として残っている。
言われた方はこんなに深く傷ついていても、言った方は何も覚えていないだろう。それもそうだ。
大学生になった私は、化粧を覚えてファッションも意識するようになった。大学デビューを果たした私を、どこかで見かけた高校の同級生が、誰かから勝手に連絡先を聞き出して、デートの誘いをしてきたことがある。その内容も「高校の時に比べて、すごく綺麗になったよね!今度一緒にご飯でもいかない?」というテンプレみたいな文章を送ってきた。その時「本当に、男の人って何も考えていないんだな」と心から失望した。もちろん誘いを断り、私は失われた青春を大学生から謳歌するようになった。
それでも、ふとした瞬間に「ブス」と笑われた過去を思い出して、悲しくなる時がある。容姿をいじられて、笑われた光景が脳裏に焼き付いて離れない時がある。
それほど、苦しい思い出として残ってしまったのだ。言った方は忘れていても、言われた方は覚えている。どんな些細なことだって、あの時のまま鮮明に思い出すことができてしまう。それほど、言葉の力は強くて時に凶器になるものだから。
あなたが私に言った言葉を、もしも自分の子どもが言われていたら、笑っていられますか?
あなたが無意識にバカにしたことを、大切な人がされていたらどう思いますか?
容姿をバカにする権利なんて誰にも与えられていない。
それが伝えられなかったことが、今は、一番悲しかったのかもしれない。
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