続くマスク生活。コロナ感染するまで、そんな社会に嫌気がさしていた

人生で初めてコロナに罹った時、将来のことを本気で考えようとしました。
毎日ニュースで目にする「コロナ感染者数」という文字は、コロナが流行し始めてから見飽きてしまうほど、繰り返し報道されていました。外に出れば顔も分からず、表情だって読み取れない人が溢れている。少し咳をしたら、一斉に視線を感じる。誰もが「命の危険にさらされている」と思いながら、約四年の月日を過ごしてきたと思います。
ただ私は運が良かったのか、今まで一度もコロナに罹ったことはありませんでした。周りでクラスターが起きても、コロナで休んでいる人がいたとしても、感染することはありませんでした。だからこそ、認識が甘くなってしまったんだと思います。
流行り出した頃、目には見えないウイルスと死の恐怖に脅かされました。賑わっていた街はまるでゴーストタウンのように、住んでいる人がいないと錯覚してしまうほど静かになりました。慣れないマスク生活は大きなストレスを与え、気づかないうちに心も狭くなっていったんです。
最初にコロナに感染した人たちは、二つの恐怖を味わっていたと思います。得体の知れないウイルスと闘う恐怖と、感染してしまった罪悪感への恐怖。
昔、付き合っていた彼が「最近地元でコロナになった人がいたんだ。ただ、初めての感染者だったから、治った後に職場で孤立して、その人の子どももいじめにあったらしい。あまりにも理解されずに辛い状況だったから、結局、お父さんが自殺をしたんだって」と。
数年前に見たニュースでも、コロナで死亡した人より自殺をした人の方が多いと、報道されたことがありました。仕事を失い失業者となった人、今みたいに後遺症なんて言葉もなかったから、謎の体調不良が続き社会復帰ができずに困窮していく人。見えないウイルスは生活を壊して、生きる希望を奪ってどんどん広がっていきました。
そして、約四年が経った今でもマスクをつけて生活をしています。友だちと集まって話をしたり、笑い合ったりすることも、まだまだ難しい世の中です。実際にコロナに感染する前までは、そんな社会に嫌気がさしていました。
どこかで甘えていたんです。誰かがマスク生活なんてもう、うんざりだって声を上げてくれたらいいのにって。もういい加減、自由に行動させてと言ってくれないかって。海外なんかは、もう皆マスクを外しているのに。そんな人任せな考えをしていたからこそ、私はコロナに罹った時、とても苦労をする羽目になったのかもしれません。
実際に自分がなった時、何度もお願いをしました。「これからはマスクをきちんとつけるし、感染対策をしっかりするから。どうか、夫だけでも良くなりますように」と。
病院に入院するほどではなかったけれど、解熱剤がなければ、いつまで経っても下がらない熱と闘う日々。一向に良くなる気配もせず、どんどん弱っていく夫の存在。新婚早々に路頭に迷うかも知れない恐怖と不安。ありとあらゆる最悪な状況を考えながら、過ごしていました。
いざ自分が罹ってみると、今までの考え方が少しずつ変化していったのです。自己防衛できるように、日々の感染対策をしっかりするようになりました。闘病生活は辛かったけれど、コロナに罹ったことはむしろ良かったと思っています。
このまま何も知らずに過ごしていたら、もっとひどい目にあっていたかもしれません。そして自分の体を、家族の命さえも危険に晒す行為に気づかずにしていたかもしれません。
ただ、今でも夫はコロナの後遺症と闘っています。元気な姿は未だに戻ることがなく、時折胸を押さえて「苦しい、苦しいよ」と訴える時があります。その度に何もしてあげられずに、ただ背中をさすることしかできません。
私の夫のように、他にもコロナの後遺症と闘っている人たちがいる。しかし、目には見えない症状ばかりだから、生活に支障をきたすものでさえも、理解されないことが多いのが現状です。
中には、学校を休学する人や、仕事を辞める決断をせざるを得ない環境が存在します。コロナ自体は知っているけれど、その先の後遺症までは、まだまだ認知されていない部分が沢山あります。
だからこそ、私は文章を書きながら、少しでも真実を伝えていきたいなと思うのです。後遺症を理解してもらえずに、厳しい言葉を吐き捨てられた夫を見てきたから。どれだけ説明をしても、罹ったことのない人からしたら、ただの風邪や仮病と同じことだと、言われた悔しさは今でも忘れません。
コロナがなかった頃の生活を取り戻したいのは、皆一緒だと思います。マスクなんて外したいし、外で気兼ねなく顔を見て話をしたい。行動の制限もなく、自由に色々なところにも行きたい。
それがいつになるかは分からないけれど、未来への希望を持ちながら、伝えられることがある限り、私は必死に経験を文字として残しています。そして、コロナ以外に後遺症で苦しんでいる人たちがいることも、ほんの少しでもいいから知ってもらいたいのです。
理解してほしいとは言いません。知ってもらうことが、理解に繋がる第一歩だと思うから。
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