自分の感情のまま、他人にぶつけてくる言葉と行動。あれは暴力だった

今でも思い出してしまう、言葉の暴力の恐ろしさを。社会の中では、パワハラ、モラハラなどのハラスメントに分類されるけれど、私はきっとDVに近いのではないかと思う経験が沢山ありました。言葉、精神、威圧の全てを味わった経験が。

ただ声を大にして、直接本人に言うことも出来ませんでした。「こんなこと言ったらパワハラって言われちゃう」なんて、冗談混じりで話していた当の本人たちは、まるで自分たちがしてきたことの、重大さに気づいていないんです。そして、明らかに間違いを起こしている相手に「間違っているよ」と言えない環境も、とても歪んでいると今ならわかるのです。

きっと、どこにだってあるような気がします。DVは家庭の中で起きるものと認識していました。ただ、私が受けてきたもの、そして今もどこかで同じ思いをしている人たちがいるということは、なんとも悲しく苦しいことだと痛感しています。
もしも私に勇気があれば、言えたのかもしれません。
「あなたがやっていることは、精神的なDVですよ」と。

◎          ◎

朝早くから出勤すると、1日が楽しく過ごせるのか、張り詰めた空気の中で過ごさなければならないのか、それは全て無意識なDVをしている人たちの機嫌次第で決まりました。朝から機嫌が悪ければ、物に八つ当たりをしてアピールをされました。何かを話そうとすれば、あからさまに嫌な顔をされたり、急かされることもありました。

しかし仕事上、始まる前に話をしなければならないことが沢山あって、言わないとそれはそれで怒られてしまう。だから、勇気を出して声をかけるんです。
「今、私機嫌が悪いんだけど」と言われても、話すしかない。
「すみません、あの……」とオドオド話す姿は、逆にイライラを募らせてしまうこともありました。

いつしか、話を持っていくこと自体が恐怖に感じることがありました。
なんとか機嫌よく過ごしてほしいと、無駄に気を遣うこともありました。
肯定はせずに、荒を探し否定する材料を探し回っている人たち。機嫌が悪ければ、同じ大人同士であっても無視をすることも当たり前。それでも、誰も文句をいうことはないんです。「あの人たちは、そういう人だから仕方がない」そんなふうに言っては、解決もしようとしてくれませんでした。

◎          ◎

私が心を壊しかけていた時、一度だけ「もう限界なんです。心療内科に行ってこようと思います」と伝えたことがありました。何度相談してもまともに取り合ってくれることはなく、結局自分の大変だった話にすり替えられて終わっていく。もう限界だった時に、最後の力を振り絞って伝えた私に「心療内科なんて行ったって無駄だよ。診断書をもらってくるだけなんだから」と言われてしまったのです。

私は全ての感情を無にして「わかりました。もう少し、頑張ります」とだけ伝えました。悔しくて悲しくて、その日は過呼吸になるまで泣き続けたのを今でも、覚えています。
もう、誰も頼りにならない。
この場所から離れるには、もう倒れるまでやり続ける道しか残されていないんだと。

次の年度に変わり、一番初めに言われた言葉は「この一年は、勉強だと思って」でした。結局最後は、電気が切れたみたいに視界が何度も真っ暗に落ちてしまい、仕事に支障をきたしたところで、ドクターストップをかけられて、そのまま休職という形になりました。とっくに体は限界を迎えていましたが、それでも何とか耐え続けていました。

◎          ◎

冷たい言葉を吐き捨てられたかと思えば、優しく寄り添ってくれる時がある。
その姿に何度も希望を持ってしまったのです。でも結局は、自分の気持ちに余裕があるごくわずかな瞬間のみでした。言葉や態度による精神的苦痛の中でも、ほんのわずかな優しさにすがってしまった。

いつか、いつか変わってくれるかもしれない。昔の頃みたいに戻ってくれるかもしれないと期待をしてしまったんです。
コロナがなければ、昔みたいに辛いこともあったけれど、職員同士で助け合いながら、子どもたちと楽しく過ごせたかもしれません。ただあの頃は、少ない職員の中で不満と負担ばかりが増えて、全ての保育士が優しい気持ちなんて持てるほどの精神状態ではなくなってしまったんだと思います。そして私が辞めた今、きっとさらに過酷な状況下の中、働いているのではないかと思うのです。
ただ、全員がそうだったわけではなく、ごく一部の人の力が強すぎて、周りが何も言えなくなり、同調するしかなくなってしまったんだと思います。

◎          ◎

今でも楽しかった思い出や、大切な人たちだっています。ただ、そんな人たちが辛い思いをしながら働いていると思うと、私の行動は正しかったのか、もっと耐えればよかったと思ってしまうこともあるのです。

心当たりはありませんか?
自分の感情のまま、誰かを傷つける行動や発言をしていること。無視をすることも、感情のまま怒鳴ったり急かしたりすることは、誰が何と言おうと間違っています。
機嫌のいい時だけ妙に優しくするのは、DVと同じことなのです。

私は、直接言うことは出来なかった。そして言われることが怖くて、同調していたこともありました。離れてみて、ようやく気づいたのです。
あのやり方は、間違っていたことに。
職場は、あくまで職場でしかないのです。
感情のままに誰かを傷つけることは、何の解決にもならないことを気づかない限り、無意識なDVが無くなることは、ないでしょう。
今だからこそ、声を出して言いたい。
「あなたたちの行動は、DVですよ」と。

この記事をシェア

あなたもエッセイを投稿しませんか

恋愛、就活、見た目、コミュニケーション、家族……。
コンプレックスをテーマにしたエッセイを自由に書いてください。

詳細を見る

contact us

かがみよかがみのソーシャルメディアのアカウントです。ぜひフォローして、最新情報をチェックしてください。

あなたもエッセイを投稿しませんか

恋愛、就活、見た目、コミュニケーション、家族……。
コンプレックスをテーマにしたエッセイを自由に書いてください。

詳細を見る

かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。

メンバー 検索 Facebook Instagram LINE Mail Mail Magazine Twitter Web Site YouTube