学級崩壊した嫌いな地元。大学の仲間のひと言で世界が大きく変わった

私は約二十年間暮らした、東京のある街が嫌いだった。
街の一角にある小学校に通った。高学年に入ると上の学年と、私のクラスは学級崩壊した。その二年間で、学校内の教員が半分以上、入れ替わった。
中学からは電車通学になって、その街で過ごす時間はだいぶ減った。
三年生になって、数少ない地元の旧友から「遊ぼう」とメールが来たとき、その子のことは好きだけれど、過去の思い出が重なって胸がザワザワした。
高学年で学級崩壊した私のクラスは、一年で三回担任が変わった。決して嫌なことばかりではなかったが、ドロドロとした思い出の方が強く、記憶に残っている。
中学・高校では学級崩壊こそなかった。思春期の時期だからか、騒がしい授業や部活でのもめ事などはあったけれど。大きな問題には発展しなかった。
高校で私は二つの部活と文化祭の実行委員会に所属し、自然と休日も学校にいることが多くなった。地元で過ごす時間はますます減って、知っている誰かに会うこともなく、気は楽になった。
だから大学に入って、私は嫌いな地元、暮らす街への印象がガラッと変わるとは思っていなかった。
「しずかさんの住んでるところ、いいなあ!お店いっぱいあるじゃん」
そんな風に言われたとき、頭にいっぱい「?」が浮かんだ。
都内の大学に入学したばかりの頃。私が入ったサークルには、地方出身者が半分くらい占めていた。遠い地方から来た仲間の一人が、私が住む街の近くに住み始めたという。
「東京にはもっと素敵な街あるよ」
私が力を込めて伝えると、仲間は「そう?」と不思議そうな目を向けた。
そんな風にポジティブな言葉をくれたのは、一人だけではなかった。履修する授業で知り合った都内出身者は、「テレビでこの間見たよー。行ってみたいなあ」と言って、私の街に興味を持ってくれていた。
高校までは自由に使えるお金がほとんどなくて、外で遊ぶことは少なかった。大学になって遠くに出かけられることが増え、周りの人たちもそうなのかなと思った。
「みんな、いろんな街に関心があるのかな」
私はそう解釈した。
そんなある日のこと。駅の本屋に立ち寄った時、私が暮らす街に関する雑誌や本がズラーっと店頭に並んでいるのを目にした。何かのテレビ番組で特集されたようで、ポップも華やかだった。そこには過去に発売された書籍が集まっていて、「こんなにいろいろ出てたんだ」と、つい足を止めて眺めてしまった。
後日、「来たい」と言ってくれていた大学の友人と、私の暮らす街で遊んだ。建物の二階や地下にはビンテージや一点ものなどの個性的なショップが隠れていて、意外と面白かった。
決して栄えてはいない。しかし、知らない良さが潜んでいた。
その頃から私は嫌いだった街に、少しずつ魅力を感じ始めていた。
私が昔知っていたのはその街のほんの一部だった。私が六年間いた学校という場所は、街にある一つのシーンにしかすぎないのに、そのことに気づけなかった。
外からの声のおかげで、地元の魅力的な部分を見つけることができた。なぜか自分に少しだけ自信が生まれた。
社会人になって、その街からは離れた。今は都内の別の街で暮らしている。地元に行くことはめっきり減ってしまった。
これから先の未来。未来の私はどこで暮らし、何をしているのだろうか。
同じ場所に長くいると、好きなだけでなく、嫌いな部分も見えてくる。視野が狭い私は嫌なことがあると、すべてが嫌になってしまうことがある。
そんな時はその場所から離れ、「こんないいところもあるんだ」と魅力に気づくことができたら。もっと生きやすく、自分にも自信が生まれるのかなと思った。
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