高尾山へひとり旅。窮屈だと思った日常を、大自然が救ってくれた

この間、東京・高尾を訪れた。人生で初ひとりハイキングをした。
「東京にこんな豊かな自然があったんだ」と目が奪われ、感動が止まらなかった。
私は東京のある街に生まれ、そこで20年ほど育った。就職で少しの間東京を離れ、今はまた都内に戻り、3年ほど新たな街で暮らしている。
都内に住み、変わらず苦手なのが満員電車だった。通勤通学の時間や、夜遅い時間に乗ると車内はぎゅうぎゅう。知らない誰かと隣り合わせになる。ホームは人で溢れ、危うく人にぶつかりそうになるのがしょっちゅうだった。
そんなときに思い出すのが、都外で暮らした時間だった。
私が過ごした地方の街は、電車やバスはある程度通っていて、どの時間に乗ってもどこかしら席が空いていた。
ホームの外には草花の風景が広がり、癒されていた。
いつかまた地方に住みたい。しかし、東京は夜遅くまで営業しているお店があって便利だ。
暮らしの理想についてぐるぐる考えていた時だった。
駅構内で一枚の大きなポスターを見つけた。カラフルなお花の写真が散りばめられた、高尾山の広告だった。
小学生のとき、年間行事の一環で高尾山に登った。以降、訪れていなかった。
山登りはもう何年もしていない。体力に自信はゼロだ。
改めて高尾について調べてみると、山の中や麓に、素敵なスポットが溢れていることを知った。
山にはケーブルカーも通っていて、本格的な登山をしなくても楽しめそうだった。
「自然に触れたい」という気持ちが大きくなって、私は高尾に行こうと思った。
来たる週末の朝。電車を乗り継ぎ、高尾山の最寄り・高尾山口駅に到着した。駅舎を抜けると、目の前には青い山々が広がっていた。
見渡すと、アウトドアブランドに身を包んだ男女が何人もいて、山に慣れた雰囲気だった。ご年配の方も多く、皆さん姿勢が良く、とても若々しく見えた。
山麓へ向かい、早速、ケーブルカーに乗車した。わずか数分で高尾山の中腹まで進んでいく。
降車すると、目の前には開けた大地が待っていた。山の端から遠くの景色を覗くと、広い空と緑がどこまでも続いている。あまりに開放的で、私は驚きが隠せなかった。
そこから人の流れに従って歩みを進めた。なだらかな山道は歩きやすく、気持ちの良い風が吹いてくる。
途中に急な階段が現れ、ただひたすら、足が痛かった。駅やお店ではエスカレーターばかり使っていた私。「筋肉痛になるかもしれない」と汗が出て止まらなかった。
しかし、なぜだろう。この痛みが気持ち良いものに感じられた。
山の中で土産屋や寺院に遭遇し、京都みたいに和の雰囲気があって面白かった。
軽く散策したあとは麓に戻り、ご飯屋さんで寛いだ。周りには下山した方たちが過ごしていて、「この時間は至福だろうなあ」と、一方的に共感をしてみた。
あっという間に一日が終わってしまった。早かった。久しぶりにスマホを触ることなく日が過ぎて、視界がいつもよりクリアに感じた。
日常のそばに豊かな自然があったのに、なぜ私は見逃していたのだろうか。奥多摩や秋川渓谷など、都内では高尾より西側には行ったことがない。今度はそちらにも行ってみたくなった。
身近な東京という場所で、行ったことのない街に歩きはじめた私。自分の目でもっといろいろな魅力を知っていきたいと思った。
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