年末年始、ゴールデンウィーク、お盆休み。
社会人である私にとっては貴重な、年に数回しかない長期休みは、毎回家族全員での海外旅行と決まっている。
自他ともに認める仲良し家族。
でも胸を張って家族仲良し!家族大好き!と言えるようになるまではかなりの時間がかかった。

無口で温厚な父と明るくて家族の中心にいる母と少し天然の入ったおっとりした姉。そして私。姉は父に似たが、私は見た目だけでなく、明るさも器用なところも短気なところも全て母に似た。
それがずっと嫌でしょうがなかった。

私が小さかった頃の母はめちゃくちゃ短気だった。そして部屋が片付いてない等といった小さなことにすぐにイライラする母が私は大嫌いだった。
でも、気づいたら自分もよくイライラして周りにやつあたりをしていた。
そのイライラを母にぶつけたら母もイライラしてしまうという悪循環が中学・高校の6年間は頻発した。

私は、イライラするたびに自分の気持ちがきちんとコントロールできない自分に嫌気がさした。でも自分のことを嫌いになりたくなくて、母に責任転嫁することで気持ちを保っていた。母に似てしまったのだからしょうがない。この性格は私のせいじゃないと。
周りからは仲のいいそっくり親子と思われていたけど、私はいつもどこかで母に似すぎたことを恨んでいた。

そんな気持ちが解消されたのは、アメリカの大学に進学し、母との距離が一気に1万kmになったのがきっかけだった。
ひとりで海外でやっていかないといけないとなった瞬間に、イライラなんてしている暇がなくなった。何があってもポジティブに乗り越えるしかないと思うようになった。
日本にいた頃は、母と仲がいい時と、イライラが勃発して冷戦している時があったけれど、距離ができたことでそれもなくなった。1カ月に1回の母とのスカイプの時間は、大抵、母が私を励ます時間だった。

自分のご機嫌の取り方を得ていた

海外から帰国後、距離が縮まることでまた元の関係に戻るかもと危惧したけど、不要な心配だった。私は海外で自分のご機嫌の取り方と何事も前向きにとらえる能力を身につけていた。
自分にぴったりの機嫌の取り方を見つけるまでにはもちろんいろいろ試行錯誤した。
完璧を求めすぎてイライラした時は「これくらいにしといたろか」、「まあいっか」と自分に言い聞かせること。日頃から目の入るところに「これくらいにしといたろか」とポストイットを貼りまくった。
逆に落ち込んだりして気持ちがどう頑張っても前向きにならない時はとりあえず気が向くまで寝ること。嫌なことは忘れようとする習慣がある私は寝ることでいい具合に記憶を抹消して次に進むことができた。
こんな簡単なことで自分の機嫌をとることができるなんてびっくりした。
そして母も、私がいない間に自分なりの機嫌の取り方を習得したのか、歳を重ねて細かいことに気にしなくなったのか、イライラしない人になっていた。

最近、母は「実家から通える大学の推薦を辞退して海外の大学に行くといった時、遅れた反抗期がきたと思った」と言っていたけど、それはちがう。
私の反抗期は、そのずっと前。
母に「ママのせいでこんな性格になったんだよ」と言ってしまった時。
記憶から消し去りたくて詳細は忘れてしまったけれど、あれは確か高校生の時、イライラしていた私に母はいつものごとく「自分がイライラしてるからと八つ当たりしないで」と言った。
その時に思わず出てしまったあの言葉。
自分が母に似すぎていることを母に責めてしまったあの一言。
あの言葉がどれだけ母を傷つけたんだろう。

母にそっくりな私だけど、一つだけ似てない性格がある。
プライドが邪魔して自分の気持ちを正直に伝えられないところ。
母は事あるごとに自分がどれだけ幸せかを語り、「それもこれも仲いい家族のおかげ、感謝しないとね~ありがとう。」という。
私はまだ、感謝の気持ちを自分の口で伝えるのが苦手だ。
でも自分の好きな「書く」という行為を通してなら伝えられるから、今回書いてみようと思った。仲のいい家族が私の自慢であることと、母に似てよかったって思うことがたくさんあることを。

ペンネーム:Karen

日本の中高を卒業後アメリカの大学に進学。現在は日本で働く社会人2年生。たまにライター。日本がもっといろんな人にとって住みやすい国になったらいいなって思ってます。
Twitter:@KPa1n