とある平日の朝。息子の相手をしながらぼんやりニュースを見ていました。すると「JKの流行ランキング!あなたは何個知ってる!?」みたいなコーナーが始まりました。

スタジオのアナウンサーたちも紹介される単語やグッズを見て「え~!知らなかった!」「最近はこんなのが流行っているんですね~!」と驚いたリアクションでしたが、26歳の私も全然分からなくて愕然としたんですよね。ありゃ、ついこのあいだまでは母に得意げにJK語を解説していたと思いきや、もうすっかり説明される側の人間になったんだなぁと、ほんのり悲しい気持ちになりました。

「女性」から「母親」という別の生き物になってしまった感覚がある

私はいま26歳で一般的には若者に分類されると思っているのですが、最近、自分の心持ちがおばさんモードになってきてしまって、精神的な老いを感じます。特に子どもを授かってからは、自分が「女性」から「母親」という別の生き物になってしまった感覚があります。

メイクもせずすっぴんで過ごし、子どもに引っ張られて襟がデロデロになったTシャツばかり着て、美容院にもなかなか行かず髪も二色になってボサボサです。ムダ毛の処理もあまりしなくなったし、アクセサリーもほとんど身に着けなくなり、街を歩くことも雑誌を読むこともないので流行にも疎くなりました。

もちろん、「女性である自分」のことも大切に過ごしているママもたくさんいると思うけど、不器用な私は「母親」をまっとうすることに精一杯で、自分の「女性」の部分を半ば諦めそうになっているのかもしれないです。そんなわけで、心が老いていると感じているんです。

自分のことを「おばさん」と呼ぶ選択肢が浮かんだことにびっくり

さて、私の心の老い問題をよく表した出来事についてお話します。友だちがお子さんを連れて遊びに来てくれたときのことです。私はそのお子さんに「お姉さんが抱っこしてもいいかな~?」と声をかけようとしました。でも待てよ……。はたして私は「お姉さん」でいいのか……?自分で自分をお姉さんって言うのが不気味かもしれないと遠慮してしまいました。かといって「おばさんが抱っこしてもいい?」って聞くのも、いやいや20代でおばさんは違うだろ……と悩んだのでした。

結局「○○君ママが抱っこしてもいいかな~?」と、【息子のお母さんである自分】を一人称にすることで落ち着きました。それにしても、一瞬でも自分で自分のことを「おばさん」と呼ぶ選択肢が浮かんだことにびっくりしました。はぁ……。息子が幼稚園にでも行ったら、息子の友だちに「ねぇねぇおばちゃん」って呼ばれちゃうのかな、なんだか悲しいです。

若さという武器がなくなってしまうと刷り込まれてきた

そういえば、誕生日が嬉しかったのっていつまでだったでしょうか……。高校生くらいまでは家族や友だちにおめでとうと言ってもらうことが単純に嬉しかったし、20歳になったときだって大人の仲間入りができたみたいで嬉しかったけど、それ以降は年齢を重ねることへの焦りを感じるようになっていた気がします。

アルバイト先で年配の女性から「アンタがちやほやされるのは若いから。ホントにいまだけよ、調子乗ってたら痛い目見るよ」と言われたときは呪いの言葉みたいで怖かったし、大学時代は1女(一年生の女子)ばっかりもてはやされていて若さが正義って言われているみたいで嫌だったし。
そういう経験がちょっとずつ積み重なって、女性が歳をとると若さという武器がなくなってしまうと刷り込まれてきたんだなぁと感じます。

育児に奔走して自分を大切にすることを忘れてしまいがちだけど

それでも、私は私なりに納得のいく年の取り方をするしかないです。親となったいまは誕生日に対して新たな感情が芽生えました。両親への感謝と、元気に生きていること自体への感謝です。

要領の悪い私は育児に奔走して自分を大切にすることを忘れてしまいがちですが、ここ最近、お風呂上りにいい香りのボディクリームを塗るようになりました。他の綺麗なママからしたらそんなの当然かもしれないけど、私にとっては自分を可愛がる大きな第一歩なのです。これから少しずつ自分の「女性」の部分を取り戻していきたいな。