この世を牛耳るロマンティック・ラブ・イデオロギー、恋愛“だけ”が神のように崇め奉られる理由がいまいちわからない。かく言う私は右派か左派かと聞かれなくてもバッキバキの恋愛右翼。好きな人から連絡が来た瞬間の私はパブロフの犬、好き好き大好き超愛してるヒューズが飛んで脊髄反射、次の返信が来る前には脳みそをドロッドロに溶かしながら家を飛び出し駅かタクシーを拾える大通りめがけて走りながらシャワーを浴びたての肌から汗を滲ませている恋愛中毒者でありますが、そんな私とて恋愛がいつ何時でも頂点に来るかと言えばそういうわけでもなく、たとえば身体の関係が恋愛感情よりも“常に”下位に位置づけられる理由がわからないのであります。

フレンドからセックスするフレンドになったのだった

数年前に週に1回会ってセックスをする男の人がいた。お互いに近況報告をする中で利害が一致するだろうと思い、私からの「私たちセックスフレンドになるというのはどうでしょうか」という提案が受理されて、私たちはフレンドからセックスするフレンドになったのだった。

最初の相性は最悪で、いきなり関係を解消したほうが良いのではとも考えたけれど、回を重ねるごとによくなるはずだから3回は試そうというので3回試してみたら本当によくなったので感激したのを覚えている。

今さら清純ぶるつもりはないが、私は本当にちょっとしたことがトラウマの引き金になり、身体に触れられることや男性を受け付けなくなってしまうことがある。だから身体を預けることには実はかなり慎重になるし、人を好きになりにくいのに好きになっても先の通りの恋愛下手で、そんな私にとって恋愛感情不在のセックスが至高だったという事実は希望になったのだった。

そういうわけで、私はすっかり彼の身体に夢中になった。彼の肌は全身のどこかしこも絹のようにつるつるとしていて、身体の触れる面積が大きければ大きいだけ心地がいい。ほかにも笑うと糸のように細くなる目や節くれだっていない育ちの良い指などキュートなパーツがたくさんあって、私は会っている間じゅう彼の身体の隅々までを愛でては「こんなに可愛い身体はないよ」と褒めちぎって過ごした。

人柄よりも彼の身体やセックスがずっとずっと大事だった

対して、彼の人柄が全くと言っていいほど好きではなかった。私のことがとりわけ好きなわけではないこともわかっていたから、彼も私とのセックスや(自慢できるボディでもないけれど)私の身体が好きだから一緒にいるのだろうというくらいに思っていた。それでも映画に一緒に行ったし、ご飯も食べに行ったし、ご飯だけ食べて解散する日もあった。それは「身体だけでは悪いから」という彼なりの配慮だったように思うけれど、一緒に映画を観ながら、ご飯を食べながら、彼と会っている間の私の心はいつ何時であってもホテルにあり、彼の身体のことばかり考えていた。彼の身体が大好きだった。今までに重ねてきたチープな恋愛なんかより彼の身体が、彼とのセックスがずっとずっと大事だった。

しかし、半年くらいが経ったある日、彼から「やっぱりこんな中途半端な気持ちでセックスをしているのはよくないと思う」と唐突に言われた。理由は特段思い当たらなかったので、端的に言って「好きじゃないから会うのやめよう」ということだと思った。彼が私を好きかどうかはどっちでもよかったけれど、私は彼とセックスできなくなるのが本当に悲しかった。私が泣きそうな顔で「あなたの身体とても好きだった」と言うと、彼は申し訳なさそうに「セックスはしないけど、君の話は面白いから引き続きおしゃべりはしようね」と言った。その瞬間に私の眼球を泳ぐ水分がキュッと干上がった。

「セックスしないならあなたに会う意味、1ミリもないから嫌です」

私が真顔でそう言うと、今度は彼が泣きそうな顔をして「どうしてそんなひどいことを言うの?」と聞いてきた。全然ひどいことなんかじゃないと思った。私から身体に触れる機会を平気で奪っておいておしゃべりだけしようだなんて、食卓に並べられたごちそうを前に手を付けるなと言われているのとおんなじ。そっちのほうがよっぽど酷だと思った。だから、私は彼の身体やセックスがいかに好きで愛おしく思っているかを一生懸命に説明した。でも、私が熱を込めて説明すればするほどに彼の顔からは色が引いていくのがわかった。

身体目当て=大切にされていないってことなの?

「身体が好き」ということばが「ヤレればいい」という意味に聞こえたのかもしれなかった。私はあなたとのセックスはかけがえのない、代替不可能なものだと伝えたのに彼の耳には届かなかったのかもしれない。

もしも彼が私に私と同じ熱量で身体やセックス“だけを”を褒めてくれたとしたらと考えてみたけれど、それはそれで光栄なことだと思った。身体だって、セックスだって、人柄同様に立派なその人の一部だからだ。それなのに、身体やセックスだけを褒められることがショックだと思うのは、まるで身体やセックスが、恋愛や人柄への愛着よりも下位に敷かれているみたいだ。それは何だか不思議なことだと思った。

多くの男性も女性も“身体目当て”じゃ嫌だし、“好かれたい”と思っている節がある。身体目当てという言葉に、どことなく“大切にされていないニュアンス”が感じられるからだろう。そういうニュアンスのせいで、好きな人と身体の関係を続けていることに後ろめたさを感じている人も多そうだ。

でも、その“大切にされていないニュアンス”とは何なのだろうか。人柄が認められればそれはイコール大切にされているということなのだろうか。“究極の身体目当て”だったとしても、恋愛よりも下位に位置づけられてしまうのだろうか。

私もその理由が未だにわからない。わからないまま、今日も合法麻薬よろしく 恋愛に脳みそをドロッドロに溶かされて全力で走っている。

illustration :Ikeda Akuri