大の高校野球好きの私にとって「夏」という季節は、特別なものである。日本全体が高校野球・甲子園に釘付けになり、ニュースでも幾度となく取り上げられる。甲子園が終わると夏の終わりを感じる、いわば夏の風物詩とも言えるだろう。
1年のほとんどを野球に捧げる私にも、忘れられない夏がある。
同い年の4番でチームを引っ張る高校球児に目を奪われた
高校3年生の春、私は同じ年の1人の高校球児に目を奪われた。爽やかなイケメンピッチャーではなく、「泥臭く豪快なバッティングをする選手」が好きな私は、彼のここぞというときのプレーに釘付けになった。それに加えて、当時私がハマっていた漫画の登場人物と同じ名前だったこともあり、とにかく興味が湧いた。
身長180cm、体重90kgと体格の良い彼は、チームの主軸である4番を任されていた。彼が打つとチームが盛り上がり、大量得点で試合が決まる。そもそも高校球児は、自分よりはるかに年上の人だと思っていた私は、彼が同じ年だということに驚いた。そして同じ年ながら、チームを引っ張るその姿に、憧れを抱いた。試合速報で彼の活躍を確認するのが日課になった。
春の大会が終わり、彼にとって最後の夏がやってきた。
実は、彼の高校は夏の甲子園出場経験がなかった。しかも昨年の夏の大会は3回戦敗退。約150校の頂点を決める予選には、注目されている選手やチームが数多く出場する。夏の甲子園に出場してほしいと願いながらも、正直無理だと諦めていた。
そんな私の予想とは裏腹に、昨年成し遂げることのできなかった3回戦突破をすると、その後もどんどん予選を勝ち抜いた。毎朝新聞を開くと彼の高校の試合結果が載っており、それを切り抜いてスクラップした。注目校ではないため小さかったり、写真のない文字のみの記事であったが、1度だけ、彼のモノクロの写真が掲載された時は、本当に嬉しかった。
そして、気がつけば甲子園出場校を決める決勝戦へと駒を進めていた。
最後の夏の甲子園、決勝。彼の夢が破れた瞬間。
決勝戦の相手は甲子園に何度も出場経験のある名門校。
試合は接戦だった。取ったら取られ、取られたら取るの繰り返し。彼の力強い打撃は、決勝戦でもチームを引っ張った。しかし、同点で迎えた8回裏、相手チームに取られた1点が試合を決めた。悔しくて涙が止まらず、夢であってほしいと願った。
会ったことも話したこともなければ、母校でも名門校でもない、たまたま春に見つけた無名の高校球児。彼は私のことを知らないけれど、私は彼にずっと、勇気づけられていた。
私は「あなたの知らないところで、あなたの活躍に勇気づけられた人がいますよ」ということを、どうしても彼に伝えたいと思った。連絡先も知らない人へ、どうやって伝えようか考えていた時、甲子園雑誌に「ファンレターの宛先」として、甲子園出場校の住所が書かれているのを見つけた。甲子園に出場していなくても、学校宛てに送れば彼に届くかも…。思い立ったら即行動ですぐに彼への想いを手紙にした。
彼のプレーに感動したことを伝えたくて手紙に託した
私は彼と付き合いたいとか、友達になりたいとは全く思っておらず、ただありがとうの気持ちを伝えたかったのだが、ポストに投函後冷静に考えてみると、恥ずかしさが込み上げてきた。無名の高校生の野球部くんに、全然知らない女子高生から「あなたのプレーに感動しました」という手紙が来たら、まずどうやって彼に渡すの?野球部の中で回し読みされるのでは?もし彼に彼女がいたら、いい気持ちにはならないかも?と今まで考えていなかったことが頭に湧き上がってきて、住所不明で戻ってきてほしいと思うようになった。
思いがけず届いた彼からの返信で知った、夢の続き
2週間後、私宛に茶封筒が届いた。達筆に書かれた封筒の送り主は、彼だった。
罫線のみが引かれた縦書きの便箋に、手紙のお礼、応援してくれたことへの感謝、そして「自分は大学でも野球を続けます」という言葉が書き綴られていた。さらに封筒の中には、サイン(フルネームの署名)入りのバッターボックスに立つ彼の写真が同封されていた。
手紙に書いていた通り、彼は大学でも野球を続け、卒業後は社会人野球でプレーを続けた。県外であったため、現地に試合を観にいくことはできなかったが、彼が活躍すると嬉しかった。そして2019年、野球選手を引退した。
私の忘れられない夏は、「悔しい」「涙が止まらない」という悪い意味のものではなく、大好きな球児に感謝を伝えることができた、最高の夏だった。後にも先にも、高校球児に手紙を書いたのは、この1度だけ。あれから約10年経った今でも、恥ずかしながら手紙を大切に持っている。