私は食べることが好きだ。しかし、同時に苦手でもある。
おいしいものを食べると幸せを感じるし、仕事がうまくいったご褒美にケーキを買って帰ることもあるし、カフェでゆっくり過ごすことも好きだ。

しかし、食べるという行為はあまり得意ではない。特に慣れていない人と食べるとき。それほど仲良くない友達だったり、初めて食事を共にする人だったり、職場の上司や先輩、後輩だったり、そんな人々との食事は憂鬱である。

食べるという行為は私にとってハードルが高い。例えば、取引先の重役と会食をするとき、どれだけ高級料理屋の食事であろうと味がしないことがあるだろう。緊張して箸が震え、おいしいはずのものが喉を通らない。相手の様子を窺いながらペースを合わせて口にものを運ぶ。私の場合、そんな気疲れが重役ではなく、ちょっとした友人相手にも感じるのだ。

他人が作った料理を食べられない

そしてもう一つ、私には「食」に対して大きな欠陥がある。他人が作った料理を食べられないのである。母や祖父母が作った料理はおいしく食べられる。それは昔から母や祖父母が私にご飯を作ってくれていた経験があるからだ。彼らの食事は食べ慣れているし、お互いに信頼関係が築けているから問題はない。

しかし、例えば、バレンタインに友達からもらう手作りチョコレート。これはどれだけ仲の良い友達であっても食べることができない。もらったその場で口に放り込んでしまえば情で飲み込むことは可能だが、家に持ち帰ってしまうと全く食べることができない。食べたいとも思えないし、口に入れると下手をすれば吐いてしまう。

これは友達を信頼していないからなのだろうか。親にも話せないことを話せるような関係の友人であっても食べられないのである。相手を信頼しているから何でも話せる。そう思っているのに、口が、喉が、胃が、手作りの食品を拒否してしまう。ちなみに外食はできる。これは恐らく、お金を払うことで安心を得ているのだと思っている。

大学生の頃、ゼミで定期的に食事会が行われていた。ゼミ生が集まって食事を作り、近況や研究の話をしながら食事をするのである。私は率先して食事係に参加した。いや、参加せざるを得なかった。自分で作った食事なら喉を通る。だから、私はできるだけ食事作りには手を出して自分が食べられる料理を増やした。今思えば、和気あいあいと食事を作っているところに小姑のように首を突っ込んでいく私は面倒な存在だっただろう。しかし、私もみんなと食事がしたかったのだ。

災害に遭ったら、私は赤の他人が作る食事を食べられるのだろうか

私はこの性質に悩んだ。笑顔で手作りのお菓子を配る友人に、私は「いらない」と言わなくてはならない。食べたくないのではなく、食べられないのだが、私の食の欠陥はなかなか理解を得られない。私は同じ悩みを抱えている仲間はいないだろうかとインターネットで探してみた。そして、とある掲示板で同じように悩んでいる人がいることを知った。安心した。

しかし、同時に私は複雑な心境に陥った。「他人の料理が食べられないことが辛い」といった内容を相談しているその人に対して、「それなら災害のときはどうするんだ」と返事が書かれていたのである。そのとき、私はそれは極論だと思ったが、確かに私はそれを見るまで災害時の食事のことなんて一度も考えたことがなかったのである。

災害の多いこの国において、この性質は命取りである。万が一、地震や台風に遭い、避難所で過ごさなくてはならなくなった場合、食事はどうするのか。最初の数日は自宅で備蓄しているカップラーメンやレトルト食品でしのげるかもしれないが、いずれ自衛隊やボランティアによる炊き出しが行われるだろう。友達どころか全く知らない赤の他人が作る食事。私はそれを食べられるのだろうか。正直、食べられる自信がない。しかし、食べなければ生きていけない。

私は考える。自分が炊き出しの作り手になれば、もしかすると食べられるかもしれない。しかし、被災していてそんな元気があるのだろうか。怪我をしているかもしれないし、精神的にも体力的にも疲れているだろう。

有難いことに、今はまだ避難所生活を経験したことがない。だが、この国で生きている限り、可能性は拭えない。普通に食事ができる人からすれば、私のこの性質なんてただのわがままに見えるのだろう。しかし、きっと私と同じように悩んでいる人はいると思う。少しでも苦しい思いをせずに食事をするにはどうすればいいのだろう。避難者は床に寝転がって毛布一枚で壁もない体育館で過ごす時代は変えていくべきだ。食事だって変えていきたい。

生きるために、私は冷たい食事を食べる

とりあえず今できることを考える。まずは備蓄食料を蓄えようと思う。多少部屋のインテリアが不格好になっても一週間ぐらいは過ごせるように冷凍食品やレトルト食品を部屋中に置いてみる。
味気のない工場で作られた食品と温かみのある手作りの食事。生きるために、私は冷たい食事を食べるのだった。