負けず嫌いで目立ちたがり屋。これが数年前までの私の長所でした。字面だけ見れば短所に見えるかもしれません。でも、これが今の私が最も欲しいものです。

パニック障害の治療に踏み切れず、泣きはらす日々

高校3年生のセンター試験間近。大学受験のラストスパートを突っ走っていた私は、突然塾のトイレで倒れました。眩暈と吐き気と尋常じゃない汗。必死の思いでその日は家に帰りましたが、それからというもの学校や塾に行くことが辛くなってしまいました。勿論行きたい気持ちはありました。しかし、自分の中の何かが「あの症状が出たら危険だよ」というブレーキをかけ、何処へ行くにもついてくるのです。その後のセンター試験や二次試験は持ち前の負けず嫌いと吐き気止めの薬で何とか乗り越えました。憧れのキャンパスライフが始まれば、きっとまた元気な私に戻れる。しかし、その考えはすぐに裏切られました。

入学後、私の前に立ちはだかったのは授業や課題、人間関係ではなく、通学用のバスと高校の時より人数の多い講義室でした。当たり前に入れた空間自体が、まるでライオンやクマに出くわした時のような恐怖に変わりました。無理矢理入ったとしても、すぐにあの症状が起きて退出してしまう。何度も挑戦しましたが、どんどん症状は悪化していきました。また、目立つことも嫌いになり、人前に出ることに過度に緊張してしまうようにもなりました。

そんな時、テレビで「パニック障害」になった芸能人のニュースが取り上げられており、何気なく見ていると、報道されていた症状が私と全く同じであることに気づきました。そして、症状=パニック発作で、意外にも患者数が多いこと・根気よく治療すれば治る可能性が高いこと等も知りました。発症時期が受験の最もつらい時期だったので、ストレスが原因で起きた心の不調であることに何となく勘付いてはいましたが、病院で治療するという決断をするのには少し抵抗がありました。なぜなら私は看護師を目指す看護学生で、「医療者になる者が弱くては、絶対に務まらない」そんなプライドがあったからです。しかし、そんな思いとは裏腹に徐々に行動範囲が狭くなり、自分への情けなさで泣きはらす日が増えていきました。

パニック障害から得た気づきを、看護師としての原動力に

その後症状の悪化を何としても避けたかったので、家族と相談し、結局、医療機関を受診することになりました。現在は治療を始めて1年以上経っており、信頼できる医師に相談しながら症状コントロールに努めています。しかし、そう簡単に治るものではないようです。現在も苦戦しており、突然体調が良くなったかと思えば、数日間寝込みがちになってしまう日もあります。余裕や自信がなくなってしまったことから、大好きな人とも別れてしまいました。

しかし、パニック障害、いや、名前が可愛らしくないのでパニ子とでも名付けましょう。パニ子がくれたものは苦痛だけではありません。「世界には色々な人がいて、見た目には元気そうでも実は様々な病気と闘っている人がいる。普通と違うということが新たな気づきを生み、その気づきが必ずどこかで役に立つ」ということを教えてくれました。看護師になるための学習の中では日々、患者の小さな心身の異変に気づくために、よく観察しなさいと指導されます。その度に私はパニ子の教えを思い出します。我慢強さやプライドで、患者は自らの苦痛を隠してしまうけれど、それに気づいてあげる存在が必要不可欠だということです。

普通とは違うからこそユニークで、決して否定するものじゃない

看護師の卵である私がパニ子と共に出くわす未来は、今の私には想像できません。症状コントロールが上手くいかなければ、一度休むことも考えなくてはいけないかもしれないですし、逆に実習や試験を思いのほか順調に乗り越えられるかもしれません。私のキャンパスライフが友達のように、バイトやサークルと学業を両立しながら笑顔で過ごせるものでないことは確かでしょう。しかし私は、人の苦しみを理解しようとする姿勢や、いち早く異変に気づく能力を磨いていると思えば、他人と比べて焦る必要はないと思います。(まだまだ治療中の段階で、実際は焦ってしまう日もたくさんありますが…)この状況は普通とは違うからこそユニークで、決して否定するものじゃない。同じような境遇にある人が、もしいたなら、自分にそう言い聞かせてほしいです。

何があっても夢を追いかけるのは自由です。夢を探すことも自由です。私はパニ子と共に、普通ではないちょっとユニークな看護学生として、今後も生きていきたいと思います。