私はあの同期のことが確かに好きだった、と思う。

お店選びや会話のセンス、何気ない日々のLINEのやり取り、同期ゆえに特別扱いされすぎないラフな関係性、全てが心地よかった。それに、私は昔から蛙化現象で告白されると急激に冷めてしまう体質だが、彼からの告白は素直に嬉しかったし、自然と触れ合いたいと思った。
でも、私は彼と付き合わなかった。いや、付き合えなかったのだ。“好き”、“楽しい”という感情だけで付き合えるほど、身軽でも無邪気でもないから。

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同期の彼は不思議とご縁のある人だった。内定者懇親会で偶然席が隣になり、その後、新人研修ではまさかの同じ班になった。同期が大勢いて顔も名前も知らない人がいるなか、彼は特別な存在なのだろうと感じた。しかし、彼は当初彼女持ちだったため、何事もなく仲の良い同期として2年が過ぎていった。

そして入社3年目になった頃、彼女と別れたのをきっかけに二人で頻繁に飲みに行くようになり……というありきたりな流れで、同期以上恋人未満の関係性に進展していった。

この時の私は、王道オフィスラブ街道を突き進むと信じて疑わなかった。
しかし、そんな彼に違和感を覚えたのは、デートを重ねて真面目な話をするようになった頃だった。

仕事や家族、人生設計などの話題は相手の過去の経験や価値観を推し量る材料になるため、言い方は悪いが、相手をジャッジするうえで重要な要素だと考えている。
では、私が彼に下したジャッジはどうだったか。答えはFAILだった。

決して彼の価値観や人生観に問題があると言いたいわけではなく、あくまで自分との“釣り合い”の問題だった。彼の人生は良くも悪くも恵まれすぎていて、私がこれまでに経験した苦悩や葛藤を同じ目線で分かち合えないと悟ってしまったのだ。

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私はここ数年で畳みかけるように色々なことがあった。仕事では、花形と言われる海外部署に配属され、ベテランに揉まれながら毎日夜遅くまで身を削って働いてきた。華やかなイメージとは裏腹に、人の悪意や理不尽に触れる機会も多く、心身に不調を来しながらもなんとか食らいついてきた。

私生活では、実父以上に慕っていた最愛の祖父の死を経験したり、母が長期入院したり、自身の持病が発覚したり。生きるとはどういうことか、健康はどれほど有難いか、など色々と考えさせられたし、家族を支えるために自分のやりたいことを諦めざるを得ないことも多々あった。

では、彼の数年間はどうだったか。彼は地方支店に配属され、初めて東京を離れて一人暮らしをすることになった。馴染みのない土地で暮らす大変さはありつつも、同僚に恵まれ、毎日定時上がりでアフター5を謳歌している。仕事中も営業車でしょっちゅうさぼっては、綺麗な景色の写真を送ってきたっけ。人生イージーモードだわ~とよく言っていた。

彼は家族仲も良好で、両親祖父母みなご健在だそうだ。親の介護の話題になれば、「俺次男だし、多分兄貴が面倒見るのかな。それか最悪老人ホームにぶち込めば安泰よね」と言い放った。

この一言が決定打だった。

ああ、彼は生きていれば誰もが直面する諸問題をまだ知らないのだ。私が日々感じている生きづらさや葛藤はきっと理解できないのね、と静かに心を閉ざしていった。

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一度腑に落ちてからは話が早かった。まさか本当の理由を正直に伝えるわけにもいかず、あなたとはずっと仲の良い同期でいたいから、というなんとも歯切れの悪い振り方をしてあっけなく終わった。
私が求めているのは一緒に居てご機嫌になれる彼氏ではなく、心の深いところで繋がり、安らぎと自信をもたらしてくれる存在なのだ。

そもそも交際前から相手に求めすぎだと言われても仕方ないだろう。それでも、私には相手が大人になるまで待てるほどの余裕も、寛大さもない。自分から終わらせておいて身勝手だが、こんなに早く大人になりたくなかったと切なくなった。