車を購入し、日常的に運転するようになった昨今の私は、自ずと電車に乗る機会が減った。座席に座っているときも吊り革につかまっているときも、何ともなしにスマホを懐から取り出して画面を照らすのがかつては当たり前だった。同じ乗り物の類とはいえぼうっと揺られているだけというわけにもいかない自家用車は、運転席に座っている以上、両手は終始ふさがっている。
時を大体同じくして、「ここのところ疎かにしがちだった読書習慣をしっかり復活させよう。夜、本を読む時間を確保しよう」と自らに課した私は、寝る前にスマホを触る時間も減った。画面上で指を滑らす代わりに、1日の終わりにはのんびりページをめくっている。古本もあれば、新品の本もある。本の状態によって、指先に触れる紙の質感が異なるのもまた楽しい。電子書籍を否定する気はないけれど、私は読書をするなら断然紙派だった。
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つまり以前と比較すると、スマホを手放す時間が増えていると思う。
ただ、仕事柄パソコンとほぼ1日中向かい合う生活を送っているせいか、スマホを触る時間が減ったからといって何かが見違えるように変化した感覚はあまりない。パソコンを起動させている以上、インターネットの世界はいつだって目と鼻の先にあるからだ。
とはいえ、パソコンとのにらめっこに疲労感を感じたり集中力を切らしたりすると、右手はやはり机上のスマホに伸びてしまう。他の方法でひと休憩すればいいものを、ついついスマホによって時間を溶かしてしまう癖がある。「良くないな」とあるときから意識的に自重するようにはなったものの、まだまだその癖は完治しているとはいえない。
でも、スマホによって時間を溶かしてしまう病(やまい)は、ある種現代社会を生きる人々の生活習慣病のようなものなのではないか、とも思う。
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スマホで触れられる数あるコンテンツのなかで、最近の私が「魔物だな」と特に恐れているのは短尺動画だ。
TikTok、YouTubeのショート動画、Instagramのリール……。いずれも、視聴傾向に合わせて表示される動画がパーソナライズ化されていき、スワイプすればするほどどんどんその沼にはまっていく。興味から多少外れた動画が表示されたとしても、簡単に指先で払いのけることができ、すぐ次の動画に切り替わる。短尺だから観るのも苦ではなく、サクサクと消費が進む。そうして、時間は無限に溶けていく。
この沼にはまっている人は、決して私だけではないと思う。
タイパ(タイムパフォーマンス)という言葉も最近はよく耳にするようになった。それだけ、多くの人が効率の良さやスマートさに重きを置いているらしい。私自身はほとんどやったことがないけれど、最近は動画を当たり前のように倍速再生する人も少なくないのだとか。
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たくさんの情報に手軽に触れることができるスマホは、確かに便利ではあるのかもしれない。でも私は、便利であるが故の代償を感じることが時折あって、その度に哀しい気持ちに襲われる。
それは、読書をしているときのことだ。
私は、物心ついた頃から本を読むのが好きだった。20歳前後の頃は年間に130冊程度読んだこともあり、「本の虫」を自称してもおそらく差し支えがないであろう読書量だった。
でも、社会人になって以降はどうしても日々の忙しなさを理由に本から離れる時間が増えてしまい、そのまま年月だけが過ぎていった。
「好きなのに、その時間を確保できていないのはいかがなものか」と考えるようになり、冒頭の読書習慣の話に至る。
ただ、ページをめくっているときの感覚が昔と若干違うことに、私は気づいてしまった。「気のせいだ」と思いたかったけれど、気づいてしまった以上もう無視はできなかった。
以前より、本の中にうまく没入できない。文章を1行ずつじっくり読む必要があるのに、目線がどうも先へ先へと走りがちになってしまう。綴られた言葉たちを時間をかけて味わうのが読書の良いところのはずなのに、その「かける時間」に痺れを切らしてしまいそうな自分がどこかにいる。
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曲がりなりにもライターを名乗り、言葉を扱う仕事をしている以上、これは良くない現象だと危機感を覚えた。だからこそ最近の私は、より積極的に本と触れる時間を作ろうとしている。解毒の時間、と言い換えてもいい。少々尖った表現かもしれないが、でも「スマホ中毒」という言葉は現に存在している。
車生活になりつつあるとはいえ、それでも電車に乗る機会がゼロになったわけではない。
身体に染みついた癖でつい意味もなくだらだらとスマホを触りそうになってしまうが、ここでもなるべくカバンの中から文庫本を取り出し、到着駅に着くまでは本の世界に浸ることを意識している。電車の中での読書は常に眠気との闘いでもあるのだけれど。
文章で伝えるという行為は、今の時代の主流を担いつつあるタイパと相反するものなのかもしれない。
でも、利便性に勝る深い力が文章には宿っているはずだ。私は、そう信じている。
ひとりの書き手として、言葉で想いを紡ぐ術をもっと突き詰めていきたい。
文章で人を楽しませ、心に届かせるコンテンツを創ってみたい。
そのためにも、スマホを手放す時間はもっともっと増やさないといけないのかもしれない。