離婚は、私が子どもだった頃より身近になり、もはや当たり前になりつつあると感じている。父と母を見て育った私は、親が離婚をするなど考えたこともなかった。今も離婚はしておらず、終始ちょうどいい距離を保っているような印象。しかし、離婚を選んだ家庭も知っている。友人の親は、子どもがある程度大きくなったタイミングで離婚をした。友人からサラッと聞かされたが、私が深掘りすることでもないので、その場でそれ以上に話を膨らませることはなかった。とはいえ、胸の内では少し動揺していた。意外と離婚は近くにあるものだな、と感じたのだ。
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昔放送されていたドラマでは、離婚は3組に1組の夫婦がしていると放送されていた。実際に離婚の危機にあった夫婦を描いたドラマだが、そのときは他人事として捉えて、へぇ〜と流しただけで終わらせた。しかし、妙にその言葉が頭に残った。私の周りに限るが、親世代で離婚をしたという人はあまり聞かない。今でも友人の両親1組だけである。パートナーの不平を漏らしながらも、離れることはなく時間を過ごしている夫婦がほとんど。そのため、夫婦はずっと続いていくものだと思っているところがある。
当の私はというと、結婚については考える年齢になったものの、その先までは考えていない。きっと、20代で離婚まで考えて将来を考えている人は少ないだろう。付き合っていて別れを切り出すことはあっても、考えるのは結婚までだ。離婚をするなんて想像ができないのである。ただ漠然と思いついたのは、離婚をしたとしても喧嘩別れではなく、ちゃんと話し合いを踏まえて決断したいとは思う。マイナスな別離はしたくなく、前を向いたままの別れを選択したいのだ。ただの美談かもしれない。離婚はしたことがないので、理想を語るしかないのだが、理想だけでも美しく終わりたいと思う。
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さすがに、結婚については考えたことがあり、行き着く答えはなんとなく決まっている。きっと流れに任せて結婚した場合は、感情が動くことなく離婚を選ぶだろうな、という答えだ。私は一人の時間がなければ生きていけないくらい、自分の時間が大切な人である。集団生活が苦手で、自分勝手に過ごしたいと思うときが多々あるのだ。どんなに結婚を考えても、きっと離婚という選択肢が浮かび、もしかすると選択するのだろうという予測がついてしまう。離婚をしてもおかしくないな、と自分で思うくらいの人間であるとは感じている。そのため、どんなことになっても1人で過ごしていけるように、いろんな準備はしておかなければいけないと思っている。そんな考えはめぐるものの、実際はもっと複雑なことになってしまうのだろうか。テレビや人の話を聞いていると、持ち家や財産、子どもの親権など話し合わなければいけないことが多いらしい。相当エネルギーも使うらしいので、時間も体力も削られると聞く。できればそこまで体力は削りたくないものだ。離婚した後もかなり憔悴するらしいので、当事者にならないことがもっとも平和に暮らせる方法なのだと思う。
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離婚との距離感は、未だに遠いまま。しかし、結婚が身近になったこの年齢では、昔よりも近くにいるのだろう。自分でも選ぶ可能性がある離婚。準備をしておかなければいけない、想像をしておいても遅くはないだろうという時期に入っている。今のままではおそらく結婚すらも選ばないだろう私だが、どのような未来を迎えるかはわからない。3人に1人だった離婚の割合も、きっと2人に1人になる日が来る。もしかすると、現実にすでに来ているのかもしれない。あくまでも体感だが、離婚を選択する確率は、親世代よりも私達の世代のほうが高いと思う。女性も社会進出が進み、こうして何かしらの仕事をしながら社会にいる私たち。芯を持った女性だって、仕事が大好きな女性だって、たくさんいるのが今だ。今までよりもそれぞれの道を選ぶ可能性が高いからこそ、アンテナを立てておくことが必要かもしれない。