現在、大学4年生。就職活動と共に来年の3月に向けてある国家資格を取得するために受験生をしている。
その資格を取りたいと思ったのは高校2年生の頃。しかし、高校3年生の時の担任から言われた一言でその夢が絶たれそうになる。
「あなた、この大学受験できないよ?」
学校側の進路指導ミスだった。
その国家資格を受験するには、養成校の大学に入学する必要があるが、その大学の受験科目の授業を私が選択していない為、その授業が受けられないと言うのだ。
希望進路は高校2年生の時から決まっており、その時の先生とも相談をして3年生の選択授業を決めた為、私が間違えることはないはずだ。家に帰ってから、母親に泣いて訴えた。
担任にとっては小さなことでも、私の将来が懸かっているんです!
共働きの両親が、私の為に平日に有給を取り、担任と学年主任の4人で話してくれた。学校側は進路指導ミスは無いの一点張りで、両親の健闘も虚しく、学校側に言いくるめられる形となってしまった。
家に帰ると両親から「先生もサポートしてくれるって言ってくれたから頑張ろう」と言われた。
しかし、ここで私の頑固な性格の悪いところが出た。担任に「納得できないから、もう一度話をさせてくれ」と言った。
その後、今でも忘れられない一言で全てを片付けられる。
「未だにそんなところで立ち止まってどうするの? 皆、受験に向かって頑張ってるのに」
「お前なんて面倒くさい」「相手にしたくない」と、言われて見捨てられた気分だった。私にとっては、自分の将来が決まっていく上で重要なことだったのだが、担任にとっては小さなのことだったのかもしれない。
「見返してやる」という不純な動機だけで受験勉強に励んだ
それから、担任と学年主任による私の“除け者扱い”、いわゆる“いじめ”が始まる。サポートはおろか、私の志望校を否定し、クラスメイトには積極的に過去問を渡すのに対して、私には「自分でどうにかしろ」の一言。
私は「見返してやる」という不純な動機だけで受験勉強に励んだ。
ほぼ話したことのない別学年の先生にアポを取って勉強を教えてもらい、週に1回の塾の授業でその科目の全て教えてもらった。その結果、周りの人達の支えもあって私は11月に受験生を終えることとなった。
担任には失礼なくらい驚かれた。コロッと態度を変え「もう一つ上の大学を目指さないか」とも言われた。
後から母親に聞くと、学年主任と担任は「志望校に合格はできないと思う」と言っていたらしい。
そして、受験生を終えてしばらくしてから、学年主任に1枚のメモを渡された。
「見事合格おめでとうございます。次は国試合格目指して頑張ってください」
あの時のメモ、私の反骨心を奮い立たせる原動力になっている
自分が捻くれていることは重々承知しているが、これは心の底から思っていることではないと未だに思っている。
本人たちは忘れていると思うが、この言葉は大学入学当初から忘れないようにスマホのロック画面にしていて、今でも国試勉強を頑張る原動力の根幹となっている。
もちろん何かを目指す時の動機は、不純な動機でない方がいいのかもしれない。しかし、不純な動機であっても、自分次第で大きな力に変えることだってできると私は思う。