巨乳はバカにしていいの?いつも私を苦しめる根拠のない中傷

「巨乳はバカだ」

こんなに根拠のない中傷が、世の中で広く知れ渡っている。
例えばこの言葉の巨乳が貧乳だったらどうだろう。たちまち批判が殺到し、こんな言葉は広く知られることがなかったのではないか。なのに巨乳だとそうはならない。
わたし達が、一体何をしたって言うのか。

初めて胸のことで傷ついたのは、中学生の時だった。
同じクラスの男女数人でいたとき、そのうちのひとりの女の子がわたしの胸が大きいと言い出した。
ヒヤッとした。体のことを異性の前で話題にされるのは不愉快だ。そして思春期に入りたてで、自分の体が他の人と少しちがうと気づき始めたわたしにはなおさらだった。

ひとりの男子が「巨乳って気持ち悪いよな」と言った。話題にあげた女の子は「えー羨ましいけどな」と言いながら、満足そうに笑っていた。
恥ずかしくて、泣いてしまいそうだった。この出来事から13年が経つが、わたしはいまでも鮮明に覚えている。

社会に出れば、男性の先輩や上司から胸が大きいことをネタにして笑われた。女性の先輩からは、「言われたくないのであればそんなにぴったりとした服を着てくるな」と言われた。当時わたしは腰を痛めてコルセットをしていたのだが、女性の上司がわたしの知らないところでコルセットの上に乗った背中の肉を「あの子は後ろにも胸がある」と揶揄していた。

日常の生きづらさを作り出しているのは、同性からの中傷や批判

生きづらさを感じることは日常に転がっている。
ふんわりした服を着れば顔の大きさに不釣り合いなほど体が大きく見え、ぴったりした服を着れば無遠慮な人の視線に嫌気がさし、女性からの批判に遭う。
胸が大きいことを指摘されたとき、そんなことないですよと謙遜すれば「じゃあそれ以下の私たちは何なんだ」と言われ、謙遜しなければ「態度まででかい」と言われる。でも肩が凝ると話を変えようとすると、それはどうやらマウンティングになるらしい。
人は胸が小さいことを公に指摘しないのに対し、大きい胸には大勢の前でも話題にあげる。

昨今、女性軽視の問題について多くの議論がなされている。女性が感じている不平や不満、立場に目が向けられ始めているが、私たちを傷つけるのは、男性だけじゃない。本当に心に刺さる、厳しいことを言うのは、同じ女性なのである。

わたしもあなたと同じく、自分が生まれ持ったものを愛したい人間だよ

「本当は自慢したいくせに」
「でもよかったことの方が多いんでしょ?」
「気にしなければいいじゃん」
「大きさがわからないような服着れば?」

何度となく言われてきた。
でも、どうして中傷されることだけは変わらないの?

生まれ持ったものや社会の倫理観に振り回されている者同士であるのに、持っているものが違うだけでこんなに人を傷つける。
わたしの胸は、あなたから奪ったものではない。
わたしの胸は、自分から進んで大きくしたものではない。
わたしはあなたと同じく、太って見える服は着たくない。
わたしはあなたと同じく、見た目を中傷されたくない。

わたし達はあなたと同じく、自分を愛したいひとりの人間なんだよ。