「感性」、という言葉を聞くと、生まれたときからその人に備わっているもの、という印象がずっとあった。センス、と同じような意味に捉えていたところもある。もともとの素晴らしい感性を持った人には、どうがんばっても勝てない、と思っていた。
コロナ禍で、先の見えないこ不安とストレスはたまっていく一方だった
しかし、このコロナ禍を通して、自分が「いいな」と思うもの、すなわち感性が、少し変わったかもしれないなと感じることがあった。
私は、2019年にイギリスに移住した。2020年は、はじめて一年間すべてをイギリスで過ごした年となった。年が始まった1月には、まさか世界が、日常がこれほどまで変わってしまうとは、思ってもみなかった。私が住んでいるイギリスは、2020年3月に一度目のロックダウンが始まった。生活必需品を扱う店や病院など以外は基本的に閉鎖され、人々の外出も制限された。
私個人としては、その直前に予定していた日本への一時帰国をキャンセルしたことが、精神的につらかった。もともと家で仕事をしていたため、仕事面での変化はなかったことがどれほどありがたいことか、医療従事者などのエッセンシャルワーカーと呼ばれる人々や、仕事の性質上現場に行って働かなくてはならない人々のことを考えると、私に不満を言う資格はないのはわかっている。それでも、先の見えないことによる不安とストレスはたまっていく一方だった。
散歩で感じた春や夏の空の青さと自然の緑、花の明るい色に救われた
2月から3月にかけては、それまで以上にスマートフォンやパソコンを見るようになってしまった。日本とイギリスのコロナウイルスの感染拡大の状況、一時帰国をするかしないかの判断など、不安が私をインターネットに向かわせた。インターネットをだらだらと見ていても、何かが解決するわけでも、変わるわけでもない。そんなことはわかっていたはずなのに、ただただ時間だけが過ぎていった。また、インターネットで情報を見ると、当時在外邦人のあいだで話題になっていたアジア人と見える人への差別、暴力なども目にした。幸い私はひどい経験をしたことがないが、そういった投稿を見るだけでも自分の心が削られていくのを感じた。
このままではいけないと思い、少しずつ暖かくなってきた4月~5月には、夫の提案でできる限り散歩をするようになった。人の多くない朝に散歩をすることが多かったため、感染するかも、という不安も和らいだ。イギリスの冬は長く、寒く暗い日が続くが、そのぶん、春や夏の空の青さと自然の緑、花の明るい色には本当に心が救われた。これは、スマートフォンばかり見ていたときには、気づかなかったことだ。きっと、自然は変わらずに私の近くにあったはずなのに。
ゆったりとした時間も、これまでは知らなかった楽しみになった
また、7月~8月には、フォラジング(野生の食用の植物やくだもの、木の実などを採集すること)の楽しさも初めて味わった。ポケットサイズのフォラジング用図鑑も買い、それを手に自然の中へ出かけていき、目の前の草木と図鑑を照らし合わせて、採集する。そして家に帰って、料理をしてみる。もちろん、スーパーで食料を買ってきて調理することと比べれば、相当に時間がかかることであるけれど、そのゆったりとした時間も、これまでは知らなかった楽しみだ。
自分が「いいな」と思うものは、きっと人生の中、日常の中で変わっていくものなのだろう。スマートフォンを使えばなんでも手に入り、なんでもできる時代。だからこそ、それとは遠く離れた自然に身を置くことで、癒される自分がいることに気が付いた。2020年は、決して「いい年」だったとは言えないけれど、その中でも、自分がなにかを発見できたことは、いいことの1つと言っていいだろう。2021年、そしてその先も、何が起きるかわからない。未曽有の事態になる可能性は、ゼロではないだろう。しなやかに、感性を磨きながら、生きていきたい。