私は趣味で詩を書いてnoteという配信アプリに投稿している。毎日投稿し続けてまだ3ヶ月。ネタは今のところまだ尽きていない。

詩を書くにあたって、それなりに「物事を感じ取る感性」がなければいいものが生まれないかなと思う。

幼少期から敏感に反応。「気付く力」や「感じとる力」はある方かも

思えば幼少期から周りで起こる事に対して敏感に反応していたのかもしれない。

スーパーで迷子になっている同年代の子がいたら、手を引っ張ってサービスカウンターへ行き、店員さんに「この子迷子なのでよろしくお願いします」とかなんとか言って保護してあげていた。

幼稚園でも仲間外れにしている子がいたら「ダメなんだよ~」と言ってやめさせたりしていた。

だから人よりも「気付く力」や「感じとる力」は持っている方なのかもしれない。

私の母は紅葉を見るよりもショッピングに行きたい人間で、私はショッピングよりも紅葉を見たい人間。

ショッピングモールや駅ビルに行くとそれなりに楽しかったりもする。流行りのコートを試着してみたりもする。

でも全ての物には値札が貼られているから「世界は金なんだ…」って思ってしまうし、色々な種類の人々の雑踏に疲れてしまう。

自然の中と雑踏の中、それぞれ生まれる作品が違うからこそ面白い

雑踏の中だと人生、世界のダークな面などにフォーカスした作品が生まれる。

紅葉など自然豊かな場所にいくとそのネガティヴな心は翻る。

マイナスイオン効果もあってか、深呼吸は気持ちがいいし目は癒されるし木々の香りは美しいし、やっぱり人間は自然に生かされているのだと改めて思うのだ。

そんな場所で詩を詠むのは最高以外の何者でもない。

情景を見ればポンポン言葉が浮かんでくるし鳥達は歌を奏でるし虫達はサンバを踊る。

自然の中だとポジティヴな感覚になるので情緒がある明るい作品が生まれる。

雑踏の中だと人生、世界のダークな面などにフォーカスした作品が生まれる。

どちらも違ってどちらも良い。二面性があってこそなのだからそれが面白い。

あとは、ポジティブな意味で言っているのかわからないけれど感性が「古臭い」「お婆ちゃんっぽい」と周りからよく言われる。

例えば自分で選んで行った服がどことなく昭和を感じさせたり、祖母が作ったパッチワークのポーチを愛用していたりするからだと思う。

服は古着テイストのものが昔から好きで、ペイズリー柄や大判のチェックなどが多い。バッグはヴィンテージを使用する事もある。

時代が移っていっても、イケてるものは形は変わろうとも残り続ける

惹かれるものが昔っぽいのは、音楽のセンスにも通ずる事だと思う。

60~70年代のサイケデリック・ロックや80年代のアイドルが好きだ。

私だけじゃなく、こういう種類の人間は実は隠れて存在するのだろうけど、なかなか一般的ではないようで驚かれる事が多い。

主流ではない、いわゆる「サブカル系」の人には変わった感性の人が多いのだろう。自分をそこにカテゴライズするほどの自信はない。

「流行りじゃない、変わってる」と笑われても私はこの感覚を大事にしているし、昔にいいと言われていたものはいつまで経ってもいいものが多いと思う。

The Beatlesが昨今音楽配信サービスのSpotifyで若者に人気急上昇中だというのも、古き良き物の価値に重きを置き始めたからなのかもしれない。

勿論新しい文化や感覚というのも重要だと思う。そちらは歓迎される機会に恵まれているので敢えて私は古い文化の良さを伝えたいと思う。

時代が移り変わっていってもイケてるものは変わらないから、形は変わろうとも残り続ける。

何を言われようが私は頑として自分の感性を宝物にしたい。雨にも風にも負けずにそこに建つ石碑のように、頑固に守りたいものだ。