私の2020年は、思い描いていた1年ではなかった。それは誰もが思っていることだろう。
大学生になって丸一年、友達もできて授業やテストにも慣れたころ、初めての春休みに心躍らせていた。仕方ないの一言で終わらせてしまえばそうだが、一気に期待や希望が失われた気分になった。
時間が早く過ぎてほしいと思っていた2020年は早く終わった
5月には、オンラインでの授業も開始された。
初めは、オンラインの使い方や操作に慣れない中、新鮮さもあり、授業は授業で楽しんでできていたと思う。しかし、それも慣れてしまう。毎日パソコンに向かう日々で、心なしか課題も増えた気がする。
そのころからだ。日々の楽しさや意欲がなくなった。
毎日友達と一緒に授業を受けて、授業が終われば駅でご飯、たまにはサークルに参加。私のスマホの予定表は、びっしり埋まっていた。
それは4月からは真っ白。見ると虚しくなるから、今はあまり開いていない。
大学2年生の一年間は、本当に自由に充実した学校生活を思い浮かべていた。それを阻んだものは咎めようもなく仕方がないが、2020年を色のない1年にしたことは間違いない。
緊急事態宣言が解除されて、少しずつ外に出るようになった。それでも、私は自粛をしていた方だと思う。外に出るのは、買い物とバイトくらい。友達と会うことはほとんどしていない。結局家での時間が増えるばかりであった。
たくさんの時間をもっと活用すべきだった。やりたいことを挙げてみたら……
長いおうち時間の中で、私は時間を活用できていたのか。本当は振り返りたくないくらい時間を持て余していたと思う。その時の私は、時間を活用しようという考えはなく、ただ退屈な時間が早く過ぎてほしいと考えていた。そのおかげで2020年は早く終わった。
でも、後悔が残る。時間があるならどうにか活用できなかったのか。何か将来につながることを考えればよかったのではないか。2021年になっても、こんなことを考えるばかりだ。
「2021年私の宣言」このテーマを見て、無心に、スマホのメモアプリに今年やりたいことを箇条書きにした。
・早寝早起き
・TOEIC高得点
・たくさん遊ぶ
・ダイエット
・貯金する ‥‥
どれも具体性に欠けるが、今年頑張りたいということは、去年は何もできなかったということである。
正直、コロナがあってもできたことも含まれている。そこで、去年の私は、なんでもかんでもコロナのせいにしていたのではないか。ただ自分の行動力がなかっただけなのだと今更気づいた。
2021年もため息をつきたくなるニュースから始まったけれど
2021年は、時間の活用、そして『私について考えてあげる1年』にしたい。
2020年は、何かとコロナのニュースをみて落ち込み、積極的に取り組むことを諦めていた。他の時間は、YouTubeやテレビなどに費やしていた。2021年は、自分のことについて考える一年にしたいと思う。
受験生の時の自分を思い出してみると、考えられないくらいひたむきに勉強をしていた。それは大きな目標があったのと、周りから感じる焦りもあったから。本当にしんどかったけれど、何かをひたむきに頑張るのは良いなと今思う。時間がある大学生だからこそ、何かひたむきに頑張ることを見つけたい。その頑張ることを頑張りたい。
2021年になっても緊急事態宣言の発令や成人式の中止など、ため息もつきたくなってしまう。でも、今ははぁとため息をついた後に行動を起こせているのかも。英単語帳を手に取ってパラパラとめくってみたり、小顔マッサージをしてみたり、夜早く目を瞑ってみたり……自分のための1年を、既に始められているのかもしれない。
生き生きとした時間を送りたい。
暗いニュースに負けないで行動を起こしていきたい。
そして、何かを頑張れたら自分をほめたい。
もしかしたら、自粛を続けていた去年の自分もほめるべきなのでは?どこかでポジティブという感情を忘れていたのかもしれない。
『私について考えてあげる1年』という宣言は、今見ると自己中心的な感じもしなくはないが、とにかく自分のためになる1年にしたい。