新型コロナウイルスが流行し始めて約1年。
昨年の年明けに私にとって人生の一大決断をし、期待と不安を胸に歩み出した矢先のことでした。
予定していたものは完全に崩れ、新たな予定も立てられない。
私は何も悪くない、努力を続けてきたのに、振り出しに戻ってしまった。
目的をもって生きること、日々の目標をたてることすらできない日々でした。決断を後悔してしまいそうになるのを必死に堪えていました。
「生きているだけで丸儲け、生きることが大切だよ。」
そんな中、入院中だった祖父が亡くなりました。コロナウイルスが直接の原因ではないものの、感染防止のため面会が禁止であったことは祖父にとって精神的に辛かったことと思います。
自分の力の及ばないことの多さにどうしようもない無力感におそわれ、絶望のなかにいました。
ある日、見かねた父が私に、
「生きているだけで丸儲け、生きることが大切だよ。」
と言いました。
正直そのときは、何呑気なことを言っているんだろう、と思いました。
わたしの貴重1年が棒に振られるというのに。祖父は戻ってこないのに。
でもこの言葉は、私の中にすうっとしみて、私のこころの奥の奥、根っこのところに届き、次の日あたりに効果を表しました。
私は、”生きる”をすることを忘れていたんだ
生きることってなんだろう、と思いました。
仕事をすること、友達と話すこと、恋人と過ごすこと。
それが生きていることなのであれば、断片的で、それをしていない間は生きていないということになってしまう…?
人は仕事に追われて忙しくしている時も、
友達や恋人といる時も、
悲しみに沈んでいるときも、
最高に幸せなときも、
新しく何かに挑戦するときも、生きている。
私は、”生きる”をすることを忘れていたんだと思いました。
新しい挑戦をするよりももっとはじめに、ちゃんと一人だけの”生きる”をしなければいけなかった。
時間に追われ、こなす、になってしまっていた予定と予定の合間だけでは十分に”生きる”をする余裕はなかった。
きちんと朝のうちに起きて、朝ご飯を食べる。たまに本を読んで、気が向いたら外を走ってみる。毎日ちょっとだけ新しいことも勉強する。ある程度清潔を保つ。夜ご飯はできるだけ家族や友人と食べる。夜更かししないでぐっすりねる。
すこしずつ生活を取り戻した時に、自分の内面やこのどうしようもない状況に向き合う力が湧いてきたような気がしました。
失ったものもたくさんあるけれど、それだけじゃない
私は自分が傷ついたことに気づいていませんでした。
自分が傷ついていることに気づけること、その傷をきちんと癒そうとすること、決して無理をしないこと。
自分の心の奥で、固まって、硬くなってしまった部分をきちんとほぐすこと。
自分自身と向き合い、自分のことを自分で癒せるだけの力を自力で生み出すこと。
こころが柔らかさを取り戻した時、逆境のなかでも希望を持って、新たに生み出していけるだけの力が生まれてくるのだと思います。
父がかけてくれたこの言葉、家族が近くにいたこと、応援してくれる友人がいたこと、経済的な不安に苛まれることがなかったことはとても幸運でした。ようやく1年経って、きちんと生きて自分と向き合えたこと、失ったものもたくさんあるけれど、それだけじゃない。私の人生にとって必要な時間だったと思えるようになりました。
少しでも多くの人がただ失っただけの1年ではないことを祈ります。