「やはり自分は変わった子」だと、高校3年生の終わりを迎える近頃はよく考える。
とはいえ、この「変わった子」とは、世間一般的にはどこか否定的意味を持って使われる事も多いように思うが、私自身が自分を見つめて表現する「変わった子」というのは、否定的意味などなく、むしろ肯定的、前向きな意味を込めて使用している。

私が、自分自身を「変わった子である」と思い始めたのはここ2、3年の事で、それまで「変わっている」などとはいっさい思わなかった。
ただ、今になって思えば、幼少期の自分の姿や今現在の自分の趣味、風景や物事に対する考え方や感じ方等々を見つめると、確かに周囲の同世代とは違う点が多いのかなと感じるのである。

4歳でアニメよりも国会中継を好み、作文はまるで刑事小説のよう

幼稚園生の頃から、大勢で遊んだり、きゃぴきゃぴとした雰囲気は好きではなく、格好つけて言うならば、程よい知性を備えた「ちょっぴり大人」を目指しているような子供だった。
だから、当時、周囲の子供がアニメ作品を見たり、お父さん役お母さん役を演じてお飯事をするのには目もくれずに、私は国会中継とフジテレビのテレビドラマを見て、たまたまテレビで流れた、夏川りみさんの「涙そうそう」に、意味は分からずとも涙した。4歳だった。

小学校の中学年の頃には、ミステリー作品を読むのが好きで、学校の宿題で提出する作文は、どんな題材を取り扱っても「まるで刑事ものの小説を読んでいるようだ」と担任の先生と母によく笑われた。

中学生になり、好みがミステリーからヒストリーに変わった私は、歴史小説が大好きで、学校で取り組まれていた「朝の読書時間」には周囲の女の子が恋愛小説を読んでいる中、分厚い歴史小説を読んでいた。街中で、古い造りの民家を見ると、勝手に建てられた頃の様子や雰囲気を想像しながら歴史を感じ、嬉しさを感じることも多かった。

今も昔も水色の空や水分量の異なる雲が見せる空間が好きだった

高校生になり、好きな音楽のジャンルはラップになった。でも、カラオケでは歌わない。歌うのは、昔耳にした演歌だ。同級生は聞いたことも無いという顔をする。明らかに「変わっている」と思われているに違いない。
とはいえ、今も変わらず歴史や時の流れを感じる事物は好きで、世の高校生が自らお目にすることは少ないであろう時代劇を毎日欠かさず見ている。「なんで?」と笑われた事もあるが、私にとってはとても幸せな時間であり、自分の想像力を通しながら、時の流れを感じ、過去と現在とを行き来して、未来に希望を持てるような不思議な時間でもある。

1ヶ月ほど前、空を眺めていた私に隣の席の子は「ずっと見ていて飽きないの?」と声をかけてきた。
私は「全然飽きないよ。日によっても時間によっても同じ表情は絶対に見せない。いつまでも見てられる!」と返した。
その子は、笑うのみで、全然興味を持ってくれなかったが、私はあの日の青空とそれを眺めている時間がとても素敵だったと思っている。

空を眺めて素敵な時間を感じるのも、昔からしていた事だ。雲と水色の空や水分量の異なる雲が配置によって、その高低差を残しながら二重になって見えている時の雲と雲を見ては、2者間の空間を考えるのが好きだった。
特に別世界が広がっているなどというファンタジー性はなかったが、どこまでも続く空を見上げては、ロマンチックな世界に浸っていた。初めて空にロマンを感じたのは小学3年生のころだった。
学校のトイレの掃除中に窓から見た空は、変わった雲が浮かんでいた訳でも色が変だったわけでもないが、その日の青空と雲の浮かび方がとても綺麗に見えた。

周囲と違う私の「感性」は、「空間」と「時間」の中にロマンを感じる

18歳になった今も、14年前と同じように、「知性を備えた大人」というのは、変わらず、自分に求めているテーマだ。ファッションも、現在流行しているようなデザインよりはオフィスコーデと呼ばれるようなファッションアイテムを好む傾向にある。
本屋さんに行っても、ビジネス書に手を伸ばす事が多い。小物は大理石柄やラグジュアリー感を感じるものが好きで、流行を取り入れる事が苦手だ。

人から見れば、現時点、ラグジュアリー感を好みながら時代劇が好きで、カラオケでは演歌を歌い、普段はラップを聞いているという点で、私はかなり面白い人間かもしれない。
「変わっている」と思われても致し方ないと思う。ただ、そう言われる事、思われる事に、私自身、嬉しさを覚えている。
何故なら、周囲とは違う「個性」だからである。そして、この個性を持った私が18年間を過ごし、その間、見て聞いて学んで吸収してきた事が作り上げる「感性」は「空間」と「時間」の中にロマンと繋がりを感じる所にある。景色でも音でも映像でも物でも、「感性」を呼び出す鍵になる。そして、この鍵は日常の中にある。何気なく普段見ている物、景色、色、音、時の流れに沿って流れている全てのものが私のロマンチックな感性を造り、養ってくれる。
私の「感性は」母と時がくれたギフトであり素敵な能力だ。

これが18歳の私の「個性」であり「感性」である。