大学に入って初めてできた彼氏は一つ上の他大学の人。かっこよくて、頭もよくて。素敵な彼氏だった。たくさん一緒に出掛けた。旅行もした。「会いたい」と言われればすぐにメイクして、服を選んで。
今思うと、ちょっと尽くしすぎてしまったかなとも感じる。
ある日、何気なくインスタグラムを見ていると、彼のストーリーには“お好み焼き”が写っていた。そして彼の元カノ(私のサークルの先輩)のストーリーにも“お好み焼き”が。彼は「彼女と別れた」と言って私と二股をかけていたようだ。なんとも言えない感情だった。
悲しいというか怒りというか、あきらめのような。次の日彼と会い、お別れを告げた。二股のことは言わず「勉強に集中したいから」と。
留学に向けて臨んだ英語の検定試験。当日まさかのトラブルで・・・
留学を控えていた私は英語検定のスコアアップが必要だった。「勉強に集中したい」というのは嘘じゃない。でも別にわかれる理由ではなかったのに。
そんな時、その英語検定試験があった。この日に向けて勉強も頑張っていた。友達と遊ぶ約束も断り、勉強に費やした。だが、電車に乗り、会場に向かっていた時、相当疲れていたのか私は寝てしまった。起きたときは見たことない駅。気づいたときは遅かった。
なんと、私の乗っていた電車は降りるべき駅を折り返して、行く先が変わりまったくの違う方向へ進んでしまっていた。
電車の乗り換えを急いで検索したが、どれに乗り換えても受付時間は裕に超えてしまうのは明らかだった。
とりあえず降りて、トイレに行くと涙がなんだか止まらなかった。心にぐさっとくるような辛さだった。彼氏と別れたときは泣かなかったのに。
なんだか辛かったなぁと今この文章を書きながら思う。“勉強したのに”、“受験料高かったのに”、“なんで二股していたのだろ”そんな気持ちがぶわあとわいてきたのだと思う。
あまりのショックで幼馴染に電話。彼女がかけてくれた言葉に救われて
その時誰かに助けて欲しくて赤ちゃんの頃から一緒に育った、20年来の友人に電話をかけた。
号泣する私にびっくりした様子で、でもちょっとだけ笑みが含まれているような温かい雰囲気で「そんなに泣いてどうしたのよぉ~」と。彼氏と別れたことは友人にはすでに話していた。
今回の事情を話すと、友人は一言「いや、もう強く生きよーな。それはもうハッシュタグ、強く生きよ、でしかないわ」と言った。
半分ジョークのような彼女の言葉に笑みがこぼれた。私は救われた。
単純に“あぁ、強く生きていかなきゃなあ”と感じられたのだ。帰りにカフェに寄り道して、おいしいケーキを食べて帰った。
「#強く生きよ」は私の信念なのだ。
合言葉は「強く生きよーな」。なんとなく明るくなれるから
それからというもの、私は再び英語の検定試験に向けた勉強を再開した。
電車の居眠り降り過ごし事件は私の中で“大事な用事の時は席に座らない”というルールになった。つぎへ生かすことにした。
二股彼氏のことは、泥沼にはまる前でよかったということにした。
それからもバイトで怒られたり、ミスしたり、へこんだことはたくさんある。
でもやっぱり#強く生きよなのだ。
いまではその友人とLINEするとき、どちらかがへこんでいたら、「強く生きよーな」と言い合うのが決まり事となった。
私たちは日々生活していれば、悲しいこと、つらいことに直面する。でもそれでも私たちは強く生きなければならないのだ。「よしっ強く今日も生きるかな」と軽々しく思えればそれでいい。なんとなく活力が沸いて、なんとなく明るくなれる、そんな風に私を変えてくれた言葉が#強く生きよ、なのである。