英会話スクールに勤めて数カ月。「得意な英語を活かしたい」そんな志望動機で入社した私は営業ノルマや慣れない夜のシフトに疲弊しきっていた。
カフェテリアをイメージしたお洒落な空間で外国人講師と一緒にクライアントの学習サポート、だけじゃない。
会社が月毎に打ち出すキャンペーンコースをクライアントにどう売込むか? 来校しないクライアントを如何に引っ張り出すか? これはクライアントがコースを契約しても来校し、レッスンを受講しないと売上がたたないからである。私の頭の中はそんな「?」でいつもいっぱいだった。
就業時間はシフト制で固定されていない。スクールの一日は朝の7時半から始まって、22時ラストのレッスンで終わる。実働8時間で昼過ぎから出勤すれば就業は22時半。
ただ、就業時間ぴったりで帰れることは少ない。基本的に残業があって、締め作業を終え駅に向かう頃には23時半を過ぎることもある。帰宅後は服を脱ぎ捨て、崩れたメイクをクレンジングシートでふき取り、シャワーも浴びず布団に入っていた。
これが正解なのか、私にはわからなかった。
得意な英語を生かしている…わけではない。何かが違う
「英語が好きで、海外旅行で不自由ない程度に、留学準備で」そういった理由で英語を学びにくるクライントもいれば「英語は苦手なんです。でも会社が外資系で、自分は製薬会社の営業で次回TV会議があって、僕は医者なんですが、時々外国人の患者さんが来られて」そういって営々と通うクライアントもいる。
前者はかつての私。そのためか、やたら親近感が沸いて学習提案に熱がこもる。でも後者は違う。彼らと接していると、胸にチクチクと痛みを感じることがある。特に英語の習熟度把握を目的としたカウンセリングの時間、クライアントが実際の業務でどう英語を使うのかヒアリングする。必然と細かい業務内容や今後のキャリアについて話は展開していく。その作業の中で私はふと彼らの仕事姿に自分を重ねてみてしまう。それは嫉妬の仕業だった。
本当は貴方のいる、その会社のその部署の、その業務を私はしたかった。だけど私には英語以外の能力で、足りないものが多すぎた。だからここで「自分は強味を活かして、楽しく働いている」フリをしている。
誰かに求められているわけじゃない。だけど留学経験があると言った手前、職場で「英語が話せない自分」を見せられない。だから月々5000円も払って格安オンライン英会話のレッスンを個人的に受けていた。私が英語を話せても昇進するわけではない。誰も海外出張に連れていってはくれない。
つまらない見栄の為に英語を勉強している私は、いつまで経っても彼らと同じ場所には立てない。悶々としながら、寝不足の眼を擦り愛想を振りまき働き続けた。
客観的にみれば、勤務中に講師と英語で会話をする私は強味を活かしているように見えるのかもしれない。でも何かが違う。
本当は京都に旅行へいって、帰りの新幹線で手土産の八つ橋をつまみ食いしたいのに、できないから東京のアンテナショップで八つ橋を買ってそんな気分だけを味わっている感じ。
つまり英語を活かしている場所がお気に召さないのだ。
興味のあることは沢山あった。でもそれは働く理由にまで至らない
最終的に私は慣れないシフト勤務で体調を崩し、退職した。あっけない終わりだった。
「英語を活かしているフリ」をしていた私は英会話スクールを去って、「結局自分は何がしたかったのだろう?」という疑問で窒息しそうになっていた。
英語が活かせなければ私に働く理由はないのか? そもそも私って凄く空っぽ人間?
焦燥感ばかりが募る転職活動。働く理由が「英語を活かしたい」しかない私はどの求人にも引っかからない。そんな日々に身が浸かっていくと、ぽつりぽつりと数年前のことが思い返されていく。
私がまだ就活生とういうカテゴリーで括られていた頃、エントリーシートの志望動機欄を埋めるのが一番苦痛だった。本当のところ、あの当時でさえ別に仕事にしてまで本気でやりたい事があったかと言われれば、答えはNOだったのかもしれない。
興味のあることは沢山あった。でもそれは私にとって働く理由にまで至らない。
ただ、「新卒で入社した会社で海外事業部に配属されて、いつかは海外を行き交うそんなキャリアウーマンになる」、そんなモザイクのかかった社会人像はあった。
だから企業のホームぺージで言葉を拾い、頷きやすいエピソードを加えてそれっぽい志望動機を作っていた。幸か不幸か、私はそれでも書類選考で落ちたことが一度だってなかった。けれどデジタルな社会に出て、私の解像度の低さが露見してしまっている。
「英語を活かして〇〇がしたい」の「〇〇」がない私は詰まるところ、スクールにいたクライアント達との間に根本的な相違があったのかもしれない。
「英語を活かす」に拘らない。その決断は私の心を軽やかにした
じゃあ、どうする?
一日中パソコンの前に座って履歴書を作る私。「英語を活かす仕事で絞ると意外と選択肢狭まっちゃいますよ」と派遣会社の面接で言われる私。初めて行くハローワークでソワソワしながら求人票の条件を見て、ため息をつく私。そんな私に同棲していた彼が「いっそアルバイトとかしながら、自分探しでもしたら?」と提案を投げかけてきた。
その言葉に戸惑いと、安堵が入り混る。いいのかな? 今更いい大人が自分探しとか恥ずかしくないかな?
何社目になるのか、わからなくなってしまった面接の帰り道。
履歴書の証明写真を焼き増しするために立ち寄った、ショッピングモールの中にあるカメラのキタムラ。徐に立ち止まって財布の中の小銭を確認する。なんだか、目頭が熱くなって視界が歪んだ。
一度立ち止まろう。もうこれ以上、時間もお金も闇雲に消費すべきじゃない。
私は帰路に着いて、最寄りの駅を出る頃には何度彼の言葉を頭の中で反芻したかわからなくなっていた。だけど自分の出した答えはしっかり胸の中に残っている。
「英語を活かす」ってことに拘らない。その決断は私の心を軽やかにした。
わたしの働く理由はまだ見つかっていない。だけど、だからこそ、それを見つけるために次は働こう。英語は自分の中で温め続けていよう。いつか「英語を活かして〇〇がしたい」の「〇〇」が埋まった時、語学がそこで生きればラッキー。それくらいでいよう。