CRY TODAY SMILE TOMORROW

私は自分に自信があるときもたまにはある。しかし、大体が自信を持てず不安になってしまったり、自分なんて、と考えたり、頼れる人なんていないのではないか、そんな悲観的に考えてしまうことが多い。

私がこの場所に存在していることを一番実感する気がした

大学生になり2年間ダンスサークルに没頭した。今までも踊りをやってきたが初めて踊るジャンル、私だけが他の大学に所属している、“ひとり”に感じてしまうこともあった。しかし、この場所は私を変えてくれ、ここで出逢った先輩たちは私にとって憧れでその背中をずっと追っていたい、そう思えた。
サークルに馴染み始め、「私も振りを作ってみよう」と思うようになった。しかし、ここには思いをはるかに超える高い壁が待ち構えていようとは知らなかった。

「教える」その苦労を知り、内気な私は振りを教えていく度に声にはならないみんなの不満をひしひしと感じるようになった。「そんなの踊れない」「無理」「出しゃばるな」時にはそんな声が隣の部屋から聞こえてくる時さえあった。
苦しくて辛くてやめればよかった、と何度も思った。でも「楽しいよ」「俺には思いつきもしなかった」そんな優しい言葉もかけてくれる人がいた。

振りを作ること、そしてそれをみんなに踊ってもらえること、それが私がこの場所に存在していることを一番実感するような気がして、作り続けた。

明日になれば大丈夫、きっと笑える

そんな辛いことがたくさんあった振り作り。2年間やり続けられたのは、あの言葉があったから。
2019年12月に出会った。今まで辛かった日々が払拭されるようだった。
「今日泣いたとしても明日は笑える」

辛くて苦しくて今日は泣いたっていいんだ、明日になれば大丈夫、きっと笑える、大丈夫
そう思えてから少しずつ前を向けるようになった。

「できない」そう言ってきた人だって明日になったら変わるかもしれない。
「できない」そう言われて頭が真っ白になって手も足も出なかったけど、明日になったら新しい案が思い浮かぶかもしれない。

何か辛い時があるときはこの言葉を思い出し、それ以来私のスマートフォンの一番見える画面にこの言葉を置いている。

今なら「よくやった」と自分に声を掛けられる

代替わりをして、幹部代になった昨年。今までたくさんの罵声も浴びてきたが、こんな私を尊敬してくれる後輩もできた。私の新しい作品を待ち望んでくれる先輩たちもいた。一緒に作りたい、そう言ってくれる同期もいた。
「振り作りは今回でやめよう」何度も何度もそう思ってきたが引退ステージまで作り続けた。

それは“作りたい”という気持ちがずっと心のうちにあった、けれどそれ以上に自分がここにいるという実感を得たかったからなのかもしれない。
引退したときは涙は出なかった。「やりきった」そう思えたから。

「後悔するかもしれない、と思ったら無理してでもやる」そういう私の負けず嫌いな心の内が一番自分の背中を押していたのかもしれない。
今なら「よくやった」と自分に声を掛けられる自信がある。
それは「明日笑えればいいんだ」と教えてくれたその言葉を思い出し続けた2年間が教えてくれた。