「中学生のあなたが、きっと本当のあなたで、それは大人になっても変わらないのよ」と当時中学生だった私にそう言ったのは、習っていたピアノの先生だった。
彼女は、70歳近かったと思う。この言葉を言われたときは「ふーん、そうなんだ」としか思わなかったが、今考えると案外そのとおりかもしれないと思っている。
自分が属していたグループの友人と、合わないと感じ距離を感じていた
私は、幼稚園に通っていたころからの幼なじみがいる。運動神経がよくて、社交的。私とは正反対の女の子だったけれど、仲は良かった。彼女とは、同じ幼稚園、小学校、中学校に通った。小学校では同じクラスになったこともあり、よく一緒に遊んでいた。
中学に入学したとき同じクラスには、幼なじみと仲のいい女の子がいて、幼なじみという共通の友人をとおして、私はその子と仲良くなった。彼女と私は明るく、クラスの中心にいるようなグループに入っていた。
そして、2年生に進級したときのクラス替えでは、その幼なじみと一緒のクラスになった。数年ぶりに同じクラスになれたこともあり、はじめは彼女と同じグループで行動していた。しかし、中学1年生のときも、2年生のときも、自分が属していたグループの友人と、距離を感じていた。自分の興味と、彼女たちの興味は合わなかった。
例えば、自分は本や歴史に興味があったけれど、彼女たちはおしゃれや男の子の話が多かった。合わないと心ではわかっていたけれど、少しでもみんなと違うことを言えば、そのグループにいられなくなってしまうかもしれないという恐怖から、作り笑いをして自分のキャラを取り繕っていたように思う。ただただ、嫌われたくなくて、話を合わせていた。
一人一人の違いを「受け入れてくれる」友人といると居心地が良かった
転機は中学3年生のときに起きた。クラス替えがあり、春は1年生、2年生のころに一緒にいたような、クラスの中心の女の子たちと同じグループにいた。
しかし、夏が近づき、受験のために塾などが忙しくなってくると、自分のなかで勉強を優先したいという気持ちが芽生えてきた。そしてその当時、同じグループの女の子たちは、ガラの悪い男の子たちと一緒に時間を過ごすことが増えてきた。その様子を見ていて「私は、もうこれ以上この子たちとは一緒にいられない」と思った。
そして、私はクラスの中でもおとなしめのグループの女の子たちとよく話し、行動をともにするようになった。彼女たちは、なにも言わずに受け入れてくれた。言葉には出さなかったものの、彼女たちも私が別のグループで、心から笑っていない様子に気づいていたのだと思う。受け入れてくれたやさしさは、今でも忘れることができない。
幸いなことに、元いたグループの女の子たちとも、何のいざこざも起こらなかった。きっと、それがお互いにとってよかったのだと思う。
そして、おとなしいグループの子と話しているときは、素の自分でいられていることに気づいた。もちろん、すべての興味関心が合うというわけではなかったけれど、それでも、一人一人の好きなものの違いを受け入れるような、器の大きさがその子たちにはあり、それが私にとってとても居心地が良かった。無理をしなくていいということが、いかに自分にとって大切かわかった瞬間だった。
中学3年生の頃にできた友人は、私にとって大切な「宝物」だ
その後、高校と大学では、素敵な友人に恵まれ、自分のキャラを変に取り繕ったりすることなく、楽しい時間を過ごすことができた。
私は、もともと行動をともにしていた、クラスの中心のような華やかな存在ではなかったけれど、それでも、大切な友人ができた。そんな友人たちとは、卒業してからも、そして私が海外に移住した今でも、連絡を取り合ったり、テレビ電話でお互いの近況を報告し合ったりしている。
無理しない自分でいられる彼女たちとの関係は、私にとって大切な宝物だ。