私は、雨の多いイギリスで暮らしている。ふと窓の外を見たときに雨が降っていると、たまによみがえってくる、少し苦い思い出がある。
もう何年も前の、中学生のときに経験した失恋だ。
彼に告白する勇気はなかったけど、少し話せるだけでしあわせだった
失恋といっても、そのとき私は誰かと付きあっていたわけではなかった。ただの片思いだ。中学生のときの私は、時間があったこともあり、本、とくに恋愛小説を読み漁っていた。いろいろな作家のあらゆる恋や愛の形を読んで、あこがれて、なに一つとして経験がなかったけれど、知ったような気持ちになっていた。
小学生のころの「○○くん、かっこいい」という明るくてさわやかな気持ちとは少し違う、中学生のそれを心の中で感じていた。自分のなかだけで、そっと秘めておきたいような想いだ。
中学2年生のときに私が好きになったのは、別のクラスのある男の子だった。地域の別の小学校出身だったから、彼の小学校のころの話は知らなかったけれど、サッカー部で活躍する姿が、当時の私にはとても輝いて見えたのだ。
彼と同じクラスの友人がさりげなく一緒に話す機会を作ってくれたり、メールアドレスを交換したりして、私は舞い上がっていた。告白する勇気は持てなかったけれど、少し話せるだけでしあわせだった。
今思えば、たぶん、だれかを好きだと自分のなかで自覚した、ちゃんとした初恋だったのだと思う。
「雨」は私の悲しみの象徴であり、それを優しく洗い流してくれた
しかし、私の片思いは、突然の失恋という形で終わりを迎えることになる。それは、メールでのやりとりを続けて、数か月経ったころだったと思う。
秋も深まり、少しずつ寒くなってきた11月。部活が終わって、私は同じ部活の友人と一緒に帰っていた。友人と別れる十字路まで来て、一人になったときに、目の前に私の好きな人と、女の子がいっしょに歩いていたのだ。
しかも、偶然いっしょになったとは思えない理由があった。それは、二人が相合傘をしていたのだ。相合傘なんて、異性と、そして好きでもない人となんてしないだろう。私は自分の傘で、目の前の光景をさえぎった。二人に気づかれないように。そして、並んで身を寄せ合って歩く二人の姿をこれ以上見なくてもいいように。
不幸にも、二人が先を歩く道は、私も普段通る道だった。二人の歩くスピードはゆっくりで、普通に歩いていたら追いついてしまう、追い越してしまう。そう思った私は、遠回りになるのを承知で、別の道を歩いて家まで帰ることにした。
二人に背を向け、別の道を歩き出したとき、私は頬に涙がつたっているのに気付いた。もちろん、彼が誰と付きあおうと、私が口出しできる問題ではない。私のほかに、彼を好きな女の子がいてもまったくおかしくはない。そして、その子を彼が好きでも、私には何も言えないのだ。
それでも、私の涙はしばらく止まらなかった。頭と心のなかを整理するために、そして自分の涙を親に気づかれないために、回り道をしたのはよかったのかもしれない。雨の静かな音を聞いているうちに、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。雨は、私の悲しみの象徴であり、それを優しく洗い流してくれるものでもあった。
今でも雨の日に、私の目の前にいた相合傘の二人の姿がたまに現れる
その数日後、私が好きだった彼が付きあっているということを噂で知った。相手は、雨の日に一緒に帰っていた女の子だ。私はそれ以降、彼に連絡をすることもなくなったし、彼からメールが来ることもなかった。
そのあと、この経験がトラウマになり、私は「もう一生私に彼氏なんかできないんじゃないか」と思ったのを覚えている。今考えれば、そんなこと誰にもわからないし、かわいい悩みだったと思う。けれど当時は、本気でそう思っていたのだ。
時は経ったけれど、今でも雨の日に、私の目の前にいた相合傘の二人の姿がたまに現れるときがあるのだ。