人間として生まれてきたら、ほとんどの人が親に愛情をもらって育つ。そのせいなのか、1人で生きていきたいと思っても、簡単にできない自分がいる。

親は守ってくれる存在でもあり、呪縛の存在でもある。私の意志を曲げる人である。

小学生の頃、本当は可愛い服やアクセサリーなどを身につけたかった。けれども、親は「小学生から色づいてどうするんだ」「勉強に専念しなさい。全くどうしてそんな不良になったの」などと強く反対した。

反抗すれば、手を上げるような人だったので、私は全て親に言われるがままに動いていた。だから、可愛い服などは着られず、男の子のような服を着て、自分の趣味の服は買って貰えなかった。けれども、文句を言えなかった。

そのくせ、現在は「彼氏を早く作れ」や「女らしい格好をしろ」や「将来優秀な夫を見つけて結婚し、子供を産め」など、口うるさく言われる始末だ。

本当矛盾している。なので、自分がLGBTであることを気づいてから2年間ずっと言えずじまいである。そんなこと打ち明けたら、幻滅されそうだし、私の個性を反対されてしまいそうで怖かった。

行きたい大学に反対され「名のある学校じゃないとお金を出さない」と言われた

中学時代は、本当は美術部に入りたかったのに、「役に立たないから」「体育会系に入れ」「お前は痩せろ」「高校入試の為に体育会系で頑張れ」と強く説教され、渋々体育会系の部活動を選んだ。もちろん、辞めることは許さないと毎日圧を掛けられていた。

その頃は反抗したい年だったが、できない環境の私は後で静かに泣くことしか出来なかった。部活動へ行きたくない一年間があり、家や学校にいる間、ずっと行きたくない、早く辞めたいと考えていた。そんな思春期の悩みも親は聞いてくれないのに、体育会系の部活動だけは入れと……まるで、一種の家畜のようだった。

高校生では、友達と遊びに行く時にお化粧をするようになった。家でお化粧をして出ていこうとすると、「まさかパパ活じゃないのか?」「彼氏か?そんなギャルみたいなことするな」などと色々文句と嫌味をネチネチと言われた。

そして1番キツいと感じたのが、受験でストレスを抱えていた時期である。

本当に行きたい大学は反対され、名のある学校じゃないとお金を出さないし許さないと言われてしまった。そして、名のある大学へ受験していったが、案の定受からなかった。結果、浪人も許されないので、小論文で受かるような学校に入った。受験で落ち続けた時は毎日毎日嫌味や自分を否定される言葉を浴びせられた。

さらに、私の学校の友達や出来事を全く聞いてくれず、母は自分の話ばかりをしていて家が窮屈に感じていた。

自分の「普通」を縛り付けてくるものが、うっとうしくてしょうがない

そんな親だが、普段は優しくて面白い。自分に不自由させないよう精一杯頑張っている事を知っているから、心が弱い私は反抗出来なかった。

今は、一人暮らしをしたいと少し相談してみたが、反対されて過ごしている。

自分は小説家とナレーターになりたい夢を持っているが、その事もずっと言えずにいる。なぜなら、それまで反対されればもう夢がなくなりそうだから。

ここまでダラダラと親への不満や反抗できない弱い自分について話した。結局のところ私が言いたいことは、親が子を制御するという定められていない観念的なルールを無くして欲しい。無理にでも一歩、自分の足で踏み出す機会を与えて欲しい。

そういった親に反抗できない環境が多くなっていっているから、私も含め現代の若者は自信が少なく、控えめな子が増えていっているんだと考えている。

親だけではなく、世間もかたにはまった社会のマナーを教育に押し付けるせいで、どんどん若者が消極的になっている。

自分の弱さゆえに親へ抗えないのは分かっている。けれども今日の日本は、親は親、子は子、というシステムが強く根付いているのではないだろうか。

私は早く自由になりたい。自分の足で進みたい。判断も道も切り開いて行きたい。こんなことを願って何が悪いのだろうか。至って普通のことだ。その普通を縛り付ける何かが、うっとうしくてしょうがない。大人になるはずなのに、大人になれない。

この親と子という定められていないルールが今縛り付けている。