「ねぇほんとに愛してきた?」父に伝えたいことは、ただそれだけである。たったそれだけ。それだけなのに、一生伝えられそうにない。

私はいっぱい父からお金をかけてもらった。たくさんの可愛いお洋服や美味しい食事、そしてなにより安心して帰れる家を与えてくれた。貧困や暴力と無縁でいられた。

本当にありがとう。でも、それって私を愛してたからじゃない気がしてる。父は母を一番に愛してたから、そのおこぼれを貰ってただけな気がしてならないのだ。

幼稚園の時、参加した遠足で「父の笑顔」にほっとしたことを覚えてる

私は、わがままな子どもだった。幼稚園に入るまで、地球は私を中心に回ってると本気で思い込んでるほどなんでも要望が通ったし、今でも地球はなぜ私中心で回ってくれないの? と思っているほど、自己中心的な人間に育った。そんな私を父は愛せただろうか。

幼稚園の企画で「おとうさんとえんそく」というものがあった。母親厳禁。父親のみがその遠足に参加出来る。今のご時世では、叩かれそうな企画があった。そこに自動車業界勤め、激務の父が何故か参加した。来るなんて思ってなかったから、心底驚いたものだった。母親もおらず、友達も父親と幸せそうにし、一人ぽつんとお弁当を食べることになるだろうと想像でもしたんだろうか。なにはともあれ父は遠足に参加した。

そこで、私はまた心の底から驚くことになる。そこにいた父のなんと穏やかなことか。父は怒る時は怒鳴るし、機嫌が悪いと子どもながらにヒヤヒヤし、なんか気難しい人なんだなと思っていた。そんな父は丘で朗らかに笑い、私の名前を呼び、笑顔で手遊びをしてくれた。

この人、私の前でもこんな顔するんだ。ほっとした。愛されてるんだ。まだ物心もついてないだろうにそう思った。

これが幼少期に覚えている1番印象深い父との交流である。年に1度の家族旅行より、お正月の親戚大パーティより、なにより遠足に来てくれたことが嬉しかった。そこから父との思い出はひと思いに飛んで高校生まで飛ぶ。

高校生の時、私の精神的不調に対する「父の態度」は冷たかった

この頃の私はクラスメイトから、軽々しく扱われ、隠語で呼ばれ、暇さえあれば陰口を叩かれるという、いわゆるいじめを受けていた。今ならわかる。ただの理不尽だと。でも、私はその時は素直だったから、本気で私が悪いんだと思ったし、死にたかった。家族が冷たい態度をとっていたら死んでいたと思う。

今私が生きているのは、母親の愛と父親のお金のおかげである。そう言いきってしまえるほど、私の精神的不調に対する父の態度は冷たかった。父親は自動車業界の激務で生きていた。ちょっとのことでへこたれては生きていけなかった。だから人の痛みにも疎かった。

「そんなことで」と父は言った。「そんなことで?」と私は聞き返した。私にとっては大事なのに。目の前で死にかけている娘に対してかける言葉がそれですか?

私の精神は悪くなる一方で、精神科にお世話になった。薬を飲もうとした時、「恥ずかしくないのか」と言われた。恥ずかしがってたら死んでしまう。そこまで追い詰められていたのに、父は私が生きようとする行動を恥だと言った。多分、一生根に持つと思う。

私は、いよいよ学校を辞める決意をした。親に学校を辞めて、風俗で働こうと思うと伝えた。母は泣いた。父は怒った。今思えば、風俗以外にも働き口はあるのに、その時は中卒でも大丈夫だから、そこで働くしかないと思い込んでいた。

父は言った。「そんな汚いものに育てた覚えはない」と。私はその日、父の目線では、“汚いもの”になった。ドン底だった。私を何とか這い上がらせてくれたのは、当時の担任と母親の献身的なサポートのおかげだった。その日から、父へ向けていた甘えみたいな感情がスーと消え失せた。

私が欲しいのはお金じゃなく、父の「抱擁」が欲しかったんだ…

私は、何とか大学に進学できた。大人たちの愛と父のお金のおかげだった。お金に関しては、感謝せざる負えない。しかし、私が欲しいのはお金じゃなかった。抱擁が欲しかった。たったそれだけだった。

時は流れて、大学でいじめられることもなく友達と平穏に過ごす私と、仕事も少し落ち着いてきた父で、昼食を取るために車を出した時の事だった。車を走らせながら、父はボソッと言った。「俺、俺が死んだらどうしようと思う時がある」。

何を言い出したんだろうと、一瞬ポカンとしてしまった。なんとなく自分が「風俗嬢になる!」と言った時と重なって、笑ってはいけないことだけが肌で伝わってきた。「怖くて怖くて、善子(私の母親)に毎晩泣きついていたことがある。だからかもな、お前が精神的に不安定になるように生まれてきてしまったのは。ごめん」。

許したわけではない。しかし、この人も1人の弱い人間だったことをこの日思い出した。人の心が欠けてるんだと思っていた。それはそうだと思う。でも、解像度が違った。人は欠けているところを補い合って生きていくんだと思う。ただ私の凸と凹が、父親とはまらなかっただけで。ただすれ違っただけで、私たちはこんなにもいがみ合ってしまった。悲しかった。そう気がついた頃には、私は新生活を迎えようとしていた。

父への漠然とした感情は、未だに手が付けられない。私は父を一生許せないかもしれないし、父は私を愛せないままかもしれない。でも、それでもいいんだ。今、幸せならそれで。
だって、私は父の笑顔が1番好きなんだから。