どんな人が好き?と聞かれたらいつも困る。その質問では外見に対してなのか、性格に対してなのか、はたまた性別や国籍などに対してなのか、よくわからない。だから私はこう答える。

「そのとき好きになった人が好き」

その人がどんな外見で、どんな性格で、出生がどうだろうと、好きになったら全部好きだから。オナラだって体臭だって、下手くそな小鳥キスも愛おしくて大好きだから。

バイセクシャルの私。分類され、理解されることにモヤモヤしている

さて、最近世間一般でLGBTへの認知が広まり、理解への動きが広まっている。その中でカミングアウトやアウティングに関する記事や動画をよく目にするようになった。

私はカミングアウトやアウティングという行動に疑問を覚える。なぜLGBTに分類された人々だけが、それを行ったり、勝手に行われたりしているのか。いわゆるノーマルの人にそんな行為は必要ないのに、LGBTに分類されるとなぜ必要になるのだろう。

因みに私はバイセクシャルらしい。私の場合は正確にいうと、パンセクシュアルに属すると教えて貰った。好きな人が動物や虫に変わろうと、その人がその人なら好きだと答えたら、そう言われた。

とくに隠している訳でもないので、聞かれたら分かりやすくバイセクシャルと答えている。ただ、そのやり取りの度に顔に蛛の巣が絡まったような嫌な感じがする。よく分からない分類に私を当てはめて勝手に理解されることに、たぶんモヤモヤしているのだと思う。

私はバイセクシャルという人間じゃない。勝手に評価判断しないで

私はバイセクシャルという人間じゃない。私は私だ。

そもそも自分でもバイセクシャルとは何かよくわかっていない。体の性別的にはどうで、性的趣向はこうで、振る舞い的にはああで、なんて自分でもよくわかってない。

中学校の頃、気持ちもはっきりしないまま想い焦がれていたのが女の子で、女だけど女性の胸に挟まれたいとか本気で思ってるってだけだ。付け加えると巨乳なお姉さんに襲われたあの夜を忘れられない、セカンドレズバージンってだけだ。

でも、ホストに行って枕おねだりしてたくらいに男性もしっかり好き。
ほらね、ちゃんとバイセクシャルでしょ?なんてことを理解してほしい訳じゃない。

私は誰かと遊ぶのが好きで、TRPG(テーブルトークRPG)やボードゲームが大好き。遊ぶことならなんでもいいので、しりとりでオールできるほどだ。

涙もろくてアンパンマンで泣いて、クレヨンしんちゃんで大笑いする。大好物はおにぎりと茶碗蒸し、嫌いなものは銀杏。犬が苦手で猫が好き。カラオケは大好きでヒトカラの常連。

実はロリータ服に憧れていて可愛いものには目がなくて未だにリズリサ着ちゃうおばさん。
私が知ってほしいのはそんな私。どうか勝手にラベリングして私を評価判断しないでほしい。

ラベリングする世界は嫌いだ。ありのままを受け入れる人でありたい

人をラベリングして理解しようとする世界は嫌いだ。ラベリングは比較対象に行うもので、人と人のコミュニケーションに用いるべきものではない。私は今のLGBTってラベルが都道府県くらいの影の薄いラベルになって欲しいと思う。

私は長崎県出身だが「長崎出身です」って紹介したところで、「へぇ~ちゃんぽん美味しよね~」くらいしか返ってこない。それ程どうでもいいレベルくらいに、LGBTという言葉の価値が無くなればいいと思っている。

出身都道府県を告白することににカミングアウトもアウティングもない。気に留める必要もないくらいのことだって世間の認識が変わればいいと思う。

LGBTに限らず、大学や、会社、病気など色々なものでラベリングは行われている。それらは確かにその人の一部分かもしれないが、その人全てではないはずだ。

その人のありたい姿はバイセクシャルでも東大卒でも有名外資勤務でも100万人に一人の難病でもないと思う。その人がありたい姿は、その人の中にある。

その姿ありのままを受け入れる人でありたい。私がわたしであるように貴方もあなただ。

ただそれだけの世界でありたい。