最近どことなく体調が優れない日々が続いた。熱があるわけでもなし、日常生活は問題なく送れるものの、喉元過ぎたあたり胃の上のもやもやが止まらない。「この感覚、もしかして?」と思い、引き出し奥にしまってあった妊娠検査薬をがさごそと取り出す。一人目を出産した後、使われることなく、ずっとしまわれていた物だ。

標的を逃すまいと、ぎこちない手つきで尿をかける。結果は思ったよりも早く出た。くっきりと二本線。陽性。私にとって、二度目となる瞬間だった。

育児は楽でないことも多い。疲労感で、白目を剥きたくなる瞬間もある

昨年、第一子を出産し、現在育児休業中。我が子と存分に過ごせる日々を心置きなく味わっている。

正直、育児は楽でないことも多い。どんなに可愛い我が子でも、自分の疲れの波と子供の言うことを聞かない波が重なると、疲労感倍増で白目を剥きたくなる瞬間も多々ある。というか、人知れず剥いている。

ただありがたいことに、自分の場合は両実家が近いことと、地域の子育て関連の施設を活用しながら、非常事態には助けてもらい、今までやってきている。

そんなどこにでもいる私たち夫婦。当初から一人目の出産後、早めの二人目を望んでいた。現在、育児休業中の職場は、元々の会社規模が小さいのに対し女性が多く、妊娠・出産における人員不足や配置転換は死活問題だ。

また、このコロナ禍で芳しくない業績が続いており、一人目の育休明けで仕事復帰し、また産休・育休と抜けるのは後ろめたい気持ちがあった。それだったら許されるのならば、一人目→二人目とまとめて休暇を取り、育児に専念したい。

そして、経済的な理由から二人が限度だと覚悟していることもあり、復帰後はそのような心配をせず仕事にも精を出したいと思っていた。

望んでいた二人目のはずなのに、手放しでは喜べない「複雑な気持ち」

また、二人目妊活を考え始めた頃、ネットでよく目にしたのが、“二人目不妊”という言葉だった。一人目は治療なく授かったものの、二人目になるとなかなか授かれない。クリニックに走る人も多いのだという。

今まで大きな婦人科系の病気をしたこともなく、健康なことだけが取り柄の自分だったが、さすがにこの言葉には「もしかして自分も含まれるのではなかろうか」と漠然とした不安を感じてしまった。子供は授かりたいときには授かれない。天からの恵みだとは、一人目の妊娠でひしひしと感じていた。

だから、産後に再び生理が再開してからは、なるべく二人目を授かることを夫婦で意識した。「兄弟が出来るとどんな感じだろうね」と話し、家族の布団の並びから服のお下がりの話まで、明るい未来を想像した。

そして、二度目の検査薬の陽性のサイン。正直、あんなに望んでいた二人目のはずなのに、一人目の妊娠発覚のときとはまた違う、手放しでは喜べない複雑な気持ち、言うなれば、この先は大丈夫だろうかという“恐怖心”が、私の気持ちの大部分を占めていた。

主人にはつい「まだ確定はしてないけど(検査薬の反応があって)、嬉しい?」と聞いてしまった。「予想より早かったけど、嬉しいよ」と言ってくれたことが救いだった。これで主人に否定的なことを言われてしまったら、私の気持ちは落ちる一方だったと思う。

二人の子育てはきっと容易ではないだろうと、不安ばかりが頭に浮かぶ

一人目育児を経験し、要領も少しは得ているし、出産までの流れのイメージも初産婦より湧きやすい。もちろん良いこともあるだろう。

しかし、一人でも白目を剥く子育てにもう一人加わったら、果たして自分は対処可能か。一人目に我慢を強いて、寂しい思いをさせてしまうのではないか。会社には、さらに休みを延ばし続けることをどう説明しようか。このコロナ禍での二人の子育てはきっと容易ではないだろうと、不安要素ばかりが頭に浮かんでしまう。

主人には「きっと何とかなるよ。考えすぎないようにね」と言われたものの、母として子供たちに十分な責任が果たせるか、経験者であるからこそ、肩肘張ってしまう自分がいる。

“母は強し”という言葉がある。私は生物学上ではすでに母だが、まだまだ精神面では脆さを感じる。自分が望んだ未来なのに、結局はマイナスなことばかりが口から出る。

時には現実を客観視することも大切であると思うが、今は今後の子育てで、どんな物事にも打ち克つ鉄の心が欲しい。「何事もドンと来い!」と言えるほどの肝っ玉母ちゃんに憧れる。
世の先輩ママに尊敬の念を抱きながら、私も母として我が子を包み込む揺るぎなさを得られるよう、まだまだ修行の日々だ。