私の感情には好意はあるけど恋はない。

友達の話や少女漫画の中の話、はたまた、テレビのCMや広告のキャッチコピーはよく言う。
恋をすると、ドキドキして、キュンキュンする。そして、時には切なくなり、苦しくなると。そんな複雑な感情が恋だと。

好意の延長線上にある恋の影すら見えないまま、付き合ってみている

私は20年間生きてきて、その恋という感情を感じたことがない。20歳になった今でも私の恋は始まったことはないし、自分の中に恋という感情が存在したこともない。
周りの恋を知っている友人たちに教えてもらったのだが、恋とは好意の延長線上にあり、気づいた時には好意から恋に変わっているそうだ。
ならば、好意のどのくらい先が恋なのだろうか。どのくらい時間がたつと変わるのだろうか。
話を聞いた当初は、疑問符が頭の中で浮かぶばかりで、まったくピンとこなかった。

高校生の頃、告白された。私はその人に好意は持っていたので、付き合ってみることにした。この好意がいつか恋になるのかと思っていたが、一向に恋が見えてこない。恋の影すら見えないまま、いまだに付き合い続けている。

そういえば、付き合って1年が経過したころ、恋がわからないことを正直に伝えてみたことがあった。「私は恋という感情がいまだによくわからない。でも、あなたの一番近くにいてもいいならずっとそこにいたい。そう思っている」と。
相手もなんとなくわかっていたみたいなリアクションが返ってきた。「どんな形の好きでも、好きな人に好きでいてもらえるならそれでいい。好きじゃなくなるまではそばにいてほしい」と言われた。
わだかまりがゼロになったわけではないが、お互いがそれで納得したので、この関係を続ける決心がついた。

大学生になり、心理学の授業中に判明した恋心がない私の心の名前

時は少したって、大学生になった。大学で専攻していた心理学の授業中、突然この恋心がない私の心の名前が判明した。
その名前はアセクシャル。自分はどうやらアセクシャルというセクシャリティのようだ。「アセクシャルとは他者に恋愛感情や性的欲求を抱かない人たちのことを指す」と教授が言っていた。まさに、私のことだと思った。
その日からアセクシャルについて図書館で調べてみたり、SNSでアセクシャルの人に話を聞いてみたりした。
SNSで知り合ったアセクシャルの方が「私も、恋という感情がないだけで、好意も愛情も持っているし、感情がないわけじゃないんだよね~」と話してくれた。
それを聞いて、とても安心した。私は感情が乏しく、冷酷で残忍な人間なのかもしれない、そう思っていたからだ。

恋が始まらない人生があったっていいじゃない。そう思える人生に

話を聞いた中には、結婚されている方もいた。最初は恋愛感情を抱かないアセクシャルの方が結婚していることに驚いた。パートナーとの恋愛とは言いがたい関係に悩んでいた私は思い切って聞いてみた。
「付き合いの長いパートナーがいるんですけど、このまま付き合っていてもいいのか悩んでいるんですよね~。相手には恋愛感情があるけど、私は同じだけの感情を返せないし、その気持ちを理解することができないから」と。
その夫婦は「恋する気持ちがなくても、愛する気持ちがあれば、恋人にはなれないかもしれないけど、家族にはなれるよ」と笑顔で答えてくれた。じわじわと涙があふれてきた。
パートナーとの関係に名前を付けるなら“家族“だったのだと。すごくしっくりきた。恋愛ができなくても家族が作れることがとてもとてもうれしかった。
私は今でもこのときのやり取りをふとした時に思い出しては、心がぽかぽかする。

私の恋は一生始まらない。恋が始まらない人生があったっていいじゃない。そう思える人生になるよう、前向きに自分らしく生きていこうと思う。