世の中にいる何割の人が自分の容姿が好きなんだろうとふと思います。
体型や顔、髪質や肌質など様々なことにコンプレックスを抱えながらも自分の見た目が大嫌いな人は意外と少ないんじゃないかと思います。

「あー、今日はブスな方か」。自分の見た目が嫌いではないけれど

わたしもその中の1人。
自分の見た目に100%の自信がある訳ではないですが、決して嫌いではないです。
この角度がかわいく見えるとかこのパーツがチャームポイントだとか何十年間も見てきた自分の顔は意外と自分ではお気に入りの部分があるのです。
自分は自分を1番愛せるようにできているんでしょうね。

だけど周りが自分を好きでいさせてくれない時もあります。

高校生の頃、仲の良い友達と男子運動部のマネージャーをしていました。
ある日、友達が体調不良でお休みをして、1人で他校に練習試合に行くと
「あー今日はブスな方か」
と他校の選手に言われました。

自分の中にある「かわいい」がぽとんと落ちた感じがしました。

私ってかわいくないんだね。

その時まで、それほど自覚が無かったんです。
今まで家族や友人、恋人にそれなりには「かわいい」と言われてきたからです。

でもそれは、ビジュアルを讃える「かわいい」ではなかったんです。
恐らく、生まれたての赤ちゃんに対する「かわいい」。
小動物に対する「かわいい」。
キモカワに対する「かわいい」。

「自分かわいい!」と思う日もある。自分大嫌いデーが訪れる日もある

それからもいろんなシーンで「ブスな方」を自覚する反面、ふとした瞬間に「かわいい」と言われ勝手に自信を取り戻し、自分の中の「かわいい」を落としては拾ってを繰り返して今日まで生きてきました。

年々化粧も上手くなって自分自身の見え方も少しずつ変わり、年々自分への愛着もまた深まってきています。
キレイにお化粧をした鏡越しに「自分かわいい!」と思う日もあれば、「何でわたしってブスなんだろう。デブなんだろう」
自分大嫌いデーが訪れればもう鏡を破りたい気分です。

そんな大嫌いデーでもふとした「かわいいね!」にもりもり元気になって……
人生とは自分が「かわいい」に振り回されて生きていくものなのですかね。

鏡の中の私と心の中の私。
どちらのコンディションもばっちり整えて、いざ出陣!!
したはずなのに……何度もバッサリ斬られたし、これからも沢山斬られる事でしょう。
鏡の中の私と心の中の私と、世間の鏡は同じ作りではないみたいです。

かわいいは私じゃなくて周りが決めるもの。

「今日も最高にかわいい!」って思いながら生きていきたいから

でも、できることならかわいいは自分で決めたい!
私はかわいいんだよ!
決定!!
って言いたい!
そんな欲望と共に、今日もかわいい認定を求めています。

だって、どうせ生きていくのならば「今日も最高にかわいい!」って思いながら生きていきたい。
その為に私は今日もメイクをしてオシャレをしていい女ぶります。
ぽとんと落ちたあの日から何度も拾った「かわいい」はいまいくつ貯まったかな。
これからの人生、何回落として、何回拾うんだろう。
拾うたびにちょっとでもかわいくなっていますように。