高校3年生の夏、私は全国大会を目指していた。
私が所属していたのは、全国でも有名な吹奏楽部の強豪校。
高校生活3年間、1,095日。そのうち1,050日くらいを練習に捧げた。
入学前から毎日練習だとわかっていた。わかっていて、それでも選んで入学した。
どうしても全国大会に出たかった。

強豪校というと、練習環境や指導してくれる講師陣が揃っていると思われることが多いと思う。
確かにそういう部分もあった。
でも、強豪校に入ったからと言って、何もしなくても青春物語が用意されていて、気が付いたら上手くなっているというわけではなかった。
1日の練習メニューは生徒たちに任されていた。
全国大会へ行くための練習は自分たちで試行錯誤して考える、それがうちの学校のスタイルだった。

部員は約200人いて、コンクールに出場できるのは55人。オーディションで選ばれていた。
3年生になって、ようやくそのメンバーに入ることができた。

うれしかった。これから全国大会へ続く長い長い道のりの、まだ入り口にしかすぎなかったけれど、うれしかった。
「落ちた人もいるんだから絶対に頑張る」
そう心に固く誓った。

焦りや、怒り、マイナスの感情が向かう先は仲間だった

顧問の先生や講師陣は、どんなレベルであっても毎年メンバーに発破を掛けているようだった。
「今年はレベルが低すぎる、去年の方が上手かった」
「このままじゃ全国大会に行けない」
最初は毎年同じことを言われているだけだと思った。

本当に警鐘を鳴らされてるんだ、と気が付いたのは、部全体の夏合宿が終わった後のこと。
ヘトヘトになっていたところ、コンクールメンバーだけが集められ、緊急で学校に泊まり込み、追加合宿が3日間行われることになった。
「これは本当に下手くそなんだ……」
疲労困憊の中でも、焦り・不安・恥ずかしさといった感情の方が強かった。

そこから死にものぐるいの練習が始まった。
何が正しいのか、どうするべきなのか、自分たちは上達しているのか、正直わからなかった。
やれどもやれども上手くなっている気はしない。
顧問や講師からも、前向きな言葉をもらうことは無かった。
けれど、とにかく練習することしかできなかった。

全員が必死だった。
だんだん余裕が無くなり、危機感からお互いを責め合うようになっていた。
「私たちのパートはこんなに頑張っているのに、なんであなたたちは頑張らないの?」
練習していても、お互いに対する疑念や怒りが増えていった。

ある日、練習中にその不満が爆発し、3年生同士が言い争いになった。
そんな先輩の様子を見て、不安で泣いている後輩たちを見ながら、「ああ、もう終わった」と何かが崩れるような思いだった。
全国大会出場を決める東関東大会の前々日のことだった。

仲間が55人いる理由とは?吹奏楽は一人で頑張るものじゃない

「終わった……」と誰もが感じていた時、顧問の先生が一言、「自信を持って行こう」と言った。
「みんなよくやっている。先生はお前らの音を聴いて、自信ついてきたぞ」
そう言った先生の目にも涙が溢れていた。
練習始まって以来、初めて先生からもらった、前向きな言葉だった。

私たちは必死になりすぎるあまり、自分たちの成長に目を向けることができていなかったし、周りの仲間の頑張りも理解できていなかった。
自分一人でやり遂げられるものではない。みんなで作り上げなくてはいけない。
逆に、一人じゃない。自分が失敗しても、周りが助けてくれる。

まさに「雨降って地固まる」とはこのこと。
不安や恐怖が浄化され、周りを信じ、力を合わせて演奏することに立ち返った私たちは、
その次の日、東関東大会に臨んだ。

東関東大会では金賞を受賞し、全国大会出場決定。
その後の全国大会は、金賞受賞という、一番良い結果で締め括ることができた。
受賞の瞬間、「自分たちは世界で一番幸せな高校生だ」と思った。

あの夏の経験が、今も私にパワーをくれる

あれからもう10年以上。あの日々は今でも思い出す。
あの経験が無かったら、自分は今どんな人間になっていたんだろう?と考えたりもする。
高校を卒業し、大学生、社会人となる中で、苦しいことや辛いこともそれなりにあった。
それぞれ苦しさ、辛さの種類が違うので、必ずしも部活を頑張った経験で乗り越えられるものでもないと私は感じている。
大学時代の苦しいこと、社会人になってからの辛いことは、それぞれちゃんと苦しいし辛い(笑)。
でも、高校時代の経験は、頑張りたい時の自分に勇気をくれる。
「あの時あれだけ頑張れたんだから、また頑張れるはず」「あれを超える努力ができたら、すごいことができるんじゃないか?」と、モチベーションをくれる。

これからもまだまだ苦しいことや辛いことは出てくるかもしれないけど、その時に自分を励ましてくれる源を、自分の中に持っているのは、とても心強いことだ。